源隆国
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源隆国(みなもとのたかくに、寛弘(1004年) - 承保4年7月9日(1077年7月31日))は、平安時代後期の公家。父は大納言源俊賢。母は藤原忠尹の娘。幼名は宗国。宇治大納言と称された。子には源俊明、鳥羽僧正覚猷(鳥獣人物戯画の作者と伝えられている)らがいる。
1014年(長和4年)従五位下となり、以後侍従・伊予介・右近衛権中将・蔵人頭などを歴任、1034年(長元7年)従三位参議に至る。1043年(長久4年)権中納言に任じられる。1061年(康平4年)権中納言を辞し、子の俊明を加賀守に申任。1067年(治暦3年)正二位権大納言に任じられるが、1074年(承保元年)権大納言を辞し、外孫である藤原師兼を申任している。
井澤長秀(肥後細川藩士、国学者、関口流抜刀術第三代)によって、「今昔物語」の作者とされたが(「考訂今昔物語」)、現在では否定説が有力である。なお、隆国は「宇治大納言物語」の作者ともされている。
[編集] 関連項目
- 源氏
- 醍醐源氏