海野厚
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海野 厚(うんの あつし、1896年8月12日 - 1925年5月20日)は、童謡作家、俳人。本名は厚一。俳号は長頸子。
静岡県曲金(現在の静岡市駿河区)の出身。旧制静岡中学卒業後、早稲田大学に入学。童話雑誌「赤い鳥」に投稿した作品が北原白秋に認められ童謡作家となる。俳句同人誌「曲水」にも参加。中山晋平らとともに「子供達の歌」を出版。雑誌「海国少年」の編集長も務めた。28歳の若さで結核で死んでしまったため作品数は多くない。
彼の母校である静岡市の西豊田小学校には「背くらべ」の歌碑が建てられている。
[編集] 作品
- おもちゃのマーチ、山は夕焼け、秋の夜(作曲:小田島樹人)
- ひなまつり(作曲 三宅延齢(のぶとし))
- 信号機(作曲:本居長世)
- 七色鉛筆(作曲 外山國彦)
- 背くらべ、露地の細道、月夜の畑(作曲:中山晋平)
- 「背くらべ」・・・この作品は兄に背の高さを測ってもらった弟の視点で書かれている。しかし実際の厚はこの歌の兄の立場(7人兄弟の長兄)であった。柱の傷が去年のものではなく一昨年なのはこのころ東京に出ていた(早稲田大学在学中)厚が帰省できなかった時のことを弟の気持ちになって書いたからだといわれる(帰省できなかったのは結核の治療のため、恩師の追悼会に出席していたためなど諸説ある)。