浪化
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浪化(ろうか、寛文11年12月17日(1672年1月16日) - 元禄16年10月9日(1703年11月17日))は、江戸時代中期の浄土真宗の僧・俳人。父は東本願寺14世法主琢如。幼名は正丸。名は晴寛。法名は応真院常照。俳号は自遣堂・応々山人・休々山人など。京都の出身。
1677年(延宝5年)7歳のとき得度して越中国井波瑞泉寺の住職となるが、京都との間を往来した。父も兄も北村季吟の門人であり、初め季吟に師事したが、のち向井去来に学んだ。1691年(元禄4年)に刊行された『卯辰集』ではじめて句が入集している。1694年(元禄7年)閏5月、去来を通じて京都嵯峨の落柿舎で松尾芭蕉に会い、芭蕉の門に入った。芭蕉の没後も芭蕉への敬慕の念が厚く、塚を立て、遺髪を得て黒髪庵を建立している。また芭蕉の門弟らと交流し、各務支考と親しかった。
句集に『有磯海』『となみ山』などがある。