津田信任
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津田 信任(つだ のぶとう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。豊臣氏の家臣。
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時代 | 戦国時代から安土桃山時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 不明 | |||
別名 | 与左衛門(通称)。信秋(別名) | |||
諡号 | 長意 | |||
官位 | 左近将監 | |||
氏族 | 津田氏(織田氏) | |||
父母 | 父:津田盛月 | |||
兄弟 | 弟:津田信成 |
津田盛月の長男として生まれる。羽柴秀吉(豊臣秀吉)の家臣として早くから仕え、天正元年(1573年)に黄母衣衆に任じられた。文禄2年(1593年)、父の死去により家督を継いだ。山城三牧城主として3万5000石を領していたという。
しかし同年、山科における洛外千人斬り事件で犯人として逮捕され、剃髪して長意と号して士籍を剥奪され、前田利家に身柄を預けられた。家督は弟の信成が1万3000石に減封された上で継いだ。
その後の行方は不明である。