池田豊
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池田 豊(いけだ ゆたか、1893年 - 1952年10月21日)は、東京都出身の元プロ野球監督・審判。
[編集] 来歴・人物
早稲田中等学校(現在の早稲田中・高等学校)→早稲田大学卒業。早大時代は三塁手。卒業後東京六大学野球連盟の審判となる。
1936年に大学の先輩河野安通志が総監督をつとめる大日本野球連盟名古屋協会(=名古屋軍、現在の中日ドラゴンズ)の初代監督に就任し先輩が後楽園イーグルスを設立と同時に辞任した。名古屋軍では後に公式戦の基点となる東京の職業野球連盟発足記念トーナメントで優勝を果たし(ただし、大阪では阪急軍に、名古屋では大阪タイガースにさらわれた。)「プロ野球選手は自前で養成しよう」との信念から少年野球から西沢道夫を発掘し後に中日の大選手になる道筋を作っている。
1937年に日本職業野球連盟に審判部が出来ると同時に入局。初代の審判部長となった。戦後もプロ野球審判をつとめるが1948年限りで引退。2リーグ分裂しても指導員としてどちらにも所属せず1952年10月21日に59歳で逝去した。1962年に競技者表彰で野球殿堂入りを果たしている。
[編集] 監督としての通算成績
通算1年指揮、42試合、19勝23敗、勝率.452