江戸名所図会
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江戸名所図会(えどめいしょずえ)は江戸時代後期に斎藤月岑が刊行した江戸の地誌。7巻20冊。長谷川雪旦の挿図も有名。
神田の町名主であった斎藤長秋(幸雄)・莞斎(幸孝)・月岑(幸成)の三代にわたって書き継がれたもの。長秋は京都の地誌である『都名所図会』(1780年刊行)に刺激を受け、寛政年間に編纂を行った。8冊本として刊行予定で、1798年に出版許可も得ていたものの、1799年(寛政11年)、長秋は63歳で病死(当初、『東都名所図会』という題であったともいわれる)。後を継いだ婿養子の莞斎は郊外分などの追補に努め、長谷川雪旦に画を依頼した。1818年に莞斎が死去し、その刊行は月岑に託された。
前半1-3巻(10冊)は1834年、残り4-7巻は1836年に刊行された(全7巻20冊)。日本橋から始まり、江戸の各町について由来や名所案内を記し、近郊の武蔵野、川崎、大宮、船橋などにも筆が及んでいる。江戸の町についての一級資料である。
[編集] 名所図会の系譜
秋里籬島の『都名所図会』以降、多くの類書が作られており、名所図会ブームともいえる状況があった。
- 都名所図会 (安永九年 1780年刊)秋里籬島・著 竹原春朝斎・画
- 大和名所図会 (寛政三年 1791年刊)秋里籬島・著 竹原春朝斎・画
- 和泉名所図会 (寛政八年 1796年刊)秋里籬島・著 竹原春朝斎・画
- 攝津名所図会 (寛政八年 1796年刊)秋里籬島・著 竹原春朝斎・画
- 東海道名所図会 (寛政九年 1797年刊)秋里籬島・著 竹原春朝斎・画
- 伊勢参宮名所図会(寛政九年 1797年刊)著者不詳 蔀関月・画
- 河内名所図会 (享和元年 1801年刊)秋里籬島・著 丹羽桃渓・画
- 木曽路名所図会 (文化二年 1805年刊)秋里籬島・著 西村中和・画
- 尾張名所図会 (天保十五年1844年刊)深田正韶・著 小田切春江・画
- 善光寺道名所図会(嘉永二年 1849年刊)豊田利忠・著画 小田切春江・補画