永元 (漢)
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永元(えいげん)は、後漢の和帝劉肇(りゅうちょう)の治世に行われた最初の元号。89年 - 105年。永元17年は4月に改元されて元興元年とされた。
元年、竇憲(とうけん)、北匈奴に大勝する。81部20余万人が投降。班固がその功績を石碑に刻む。2年、班超が大月氏を破る。3年、西域都護を復活し、班超をその任に当てる。4年、竇憲が和帝と宦官の鄭衆に誅され自殺。鄭衆が権力を握る。班固獄死。9年、班超、甘英を大秦国(ローマ帝国)に派遣。12年、許慎の『説文解字』が完成。14年、班超が洛陽に帰還、死去。
[編集] 西暦・干支との対照表
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永元 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年 10年 西暦 89年 90年 91年 92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年 干支 己丑 庚寅 辛卯 壬辰 癸巳 甲午 乙未 丙申 丁酉 戊戌
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