植村家長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
植村家長(うえむら いえなが、宝暦3年5月21日(1753年6月22日) - 文政11年10月12日(1828年11月18日))は、江戸時代の大名。幕府政治家、老中格。大和高取藩9代目藩主。
8代目藩主、植村家利が遊女と入水心中し、江戸屋敷の留守居役がその情報を抑え病死として届けたため、家長が相続した。
官位は従四位下、駿河守。老中在職は文政8年(1825年)4月18日 - 文政11年(1828年)10月12日。6代目藩主家道の2男。家長死後、家督は3男の家教が相続する。
幕府では47歳より久しく若年寄を勤め、72歳にして、とくに老中格、老中待遇を受けた。在職のまま死去。