桀 (夏)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
桀(けつ)は、夏の17代目の帝であり夏の最後の帝。名は履癸。帝発の子。一説に、帝皐の子。(史記などにあるように、一般には帝桀の父は帝発とされている)
竹書紀年によれば、斟尋に都した。
孔甲以来諸侯は夏后から離反しつつあったが、桀は徳で統治をするのでなく武力で諸侯や民衆を押さえつけたので諸侯や民衆に憎まれた。有施氏を討った際に末喜という美女を捕らえ自らの妃とした。桀は末喜に溺れ、政治を省みなくなった。商の湯を呼びつけ、夏台にて牢獄につなげた。湯はゆるされて解放されると徳を修めたので諸侯がその下に集まり、ついに桀は倒された。桀は鳴条に逃げたが、「吾悔不遂殺湯於夏台使至此」(湯を夏台で殺さなかったばかりにこんなことにまでなってしまったのが悔しい)と言い放ち死んだ。一説によると、末喜とともに、南方に逃げて死んだという。
後世、商の紂・周の幽王と並び称される暴君の代名詞となった。
岷山を討った時に琬・琰という2人の女性を手にいれこの2人の女性をとても愛したが、子供ができなかったので苕華の玉に2人の名を刻んだ。苕には琬の名を、華には琰の名を刻んだのである。