松平頼重
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松平 頼重(まつだいら よりしげ)は、江戸時代前期の常陸下館藩主、讃岐高松藩主。水戸徳川家初代徳川頼房の長男(初代将軍・徳川家康の孫。2代将軍・徳川秀忠は伯父)として生まれたが、頼房が兄である徳川義直・頼宣に男子がいないのを憚って庶長子として扱った為に水戸藩を継承することが出来なかったといわれている。水戸藩は弟の徳川光圀が第2代藩主に就任している。
|
||||
生誕 | 元和8年7月1日(1622年8月7日) | |||
死没 | 元禄8年4月12日(1695年5月24日) | |||
別名 | 幼名:竹丸、八十郎 | |||
藩 | 下館藩、高松藩 | |||
氏族 | 高松松平氏 | |||
父母 | 父:徳川頼房、母:谷重則の娘 | |||
兄弟 | 松平頼重、徳川光圀 | |||
妻 | 土井利勝の娘 | |||
子 | 徳川綱方、徳川綱條、松平頼剛 松平頼侯、松平頼芳、養嗣子:松平頼常 |
[編集] 経歴
- 1622年(元和8年):生まれ
- 1638年(寛永15年):将軍家初見
- 1639年(寛永16年):常陸下館藩5万石
- 1642年(寛永19年):讃岐高松藩12万石転封(5月28日)
- 1673年(延宝元年):隠居(2月19日)、同月28日、出家。源英と号する。
- 1695年(元禄8年) :卒、享年74。法名:龍雲院雄蓮社大誉孤峯源英
[編集] 官職位階履歴
※日付=旧暦