松原敬生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松原 敬生(まつばら たかお、1944年8月5日-)はフリーアナウンサー。本名:松原敬夫(まつばらたかお)。名古屋市北区大曽根出身。名古屋市立六郷小学校、東海高等学校、同志社大学卒業後、1968年に東海ラジオに入社。アナウンサーとして「ミッドナイト東海」「ぶっつけワイド」などの人気番組を担当した。2004年8月、同社を定年退職、個人事務所「トーク・オフィス・マツバラ」を立ち上げた。また、石原裕次郎に心酔し「東海の裕次郎」と自称している。演歌歌手として「哀愁のトラッカー」などの作品を発表し、番組出演・講演活動と合わせて公演を続けている。
目次 |
[編集] 現在の出演番組
- 松原・坂口の土曜はど~よ!?(東海ラジオ)
- ワクドキ!元気(三重テレビ)
- 松原敬生のシャレアップ歌謡曲(2006年10月7日~土曜日深夜3時~日曜早朝5時放送)
現在の流星倶楽部、上條ひとみのキ・セ・キ、まるごとステーションpresentsハイブリッドJAMに代わって始まる旧走れ!歌謡曲日曜早朝枠の生放送ワイド番組。
[編集] 過去の出演番組(いずれも東海ラジオ)
- ミッドナイト東海(1974年~1977年)
- モアミュージック1・2・3(1977年~1978年)
- ぶっつけワイド(1978年~1997年)
- 松原敬生のバラエティージャーナル(1997年~1998年)
- 松原敬生の夜はこれから(1998年)
- おはよう松原敬生です(1999年~2002年)
- 松原敬生の歌謡パーティー(2002年)
- さか松ゲン(2003年)
- ミッドナイト東海21(2005年)
東海ラジオの放送開始、終了アナウンスの読み上げも担当していた。(現在は源石和輝が担当。)
[編集] 演歌歌手としての活動
- ひとえまぶた(1979年、犬飼俊久唸れ!! 快速球のB面、キャニオン・レコード)
- 哀愁のトラッカー
- グラス片手に
- わが娘よ
- 別れのラブソング
- 港のおんな
- 思い出をありがとう
- 栄光への道(1982年、ドラゴンズ優勝カセット)
- 松原敬生全曲集CDアルバム(1993年、アナウンサー生活25周年記念)
- いつも側にいて(1995年2月22日、真咲よう子とのデュエット、クラウンレコード)
- (曲名未定)(2007年3月7日発売予定)
[編集] その他
- 東海ラジオのみでオンエアーされている、再春館製薬所のラジオCMのナレーターを務めている。(痛散湯のみ)
- アナウンサーを志した理由として、年の離れた実兄が中日新聞の記者であったことからマスコミに関心があったこと、小学生だったとき体育が決して得意でなかった松原が運動会で恥ずかしい思いをしないために放送部に入部して徐々に放送の世界に関心があったということを挙げている。
- アナウンサー生活の中で唯一心残りになっている事は、野球実況が出来なかったことという。3年間実況のトレーニングを積んだもののガッツナイターの実況を1度も務めることなく退社した。演歌歌手として成功することと共に、ガッツナイターの実況を担当することが夢だと今でも語る。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: フリーアナウンサー | 愛知県出身の人物 | 1944年生 | アナウンサーのスタブ項目