東海大学山形高等学校
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東海大学山形高等学校(とうかいだいがくやまがたこうとうがっこう)は山形県山形市にある私立高校で全国に14校ある東海大学付属高校(別法人のため「提携校」と表記される)のひとつ。東海大学独自の「高校現代文明論」という授業を中心に各教科が展開されるのが特徴。法人名は学校法人一橋学園。
1956年(昭和31年)創立の一橋商業高等学校が前身。1978年(昭和53年)に学校法人東海大学の傘下に入り、東海山形高等学校として発足。1982年(昭和57年)東海大学山形高等学校に校名変更した。
普通科と商業科の2つの学科があったが、1987年(昭和62年)に商業科が廃止され、普通科のみとなる。コース制をとっており「特設コース」「東海大学コース」「総合コース」に分かれる。
「付属」が付かないのは、経営母体である学校法人が地元の別法人(理事の一部も東海大学関係とは別の地元人)であるためである。(甲府高校と菅生高校、菅生中学校も同様であるが、菅生高校・中学を経営する学校法人菅生学園には東海大学とは全く無関係の「多摩学院幼稚園」があり、菅生高校・中学校は他の付属校と違う独自の校章を採用している。)
昭和57年に初めて硬式野球部が夏の甲子園に出場し、それから3年後の1985年(昭和60年)の夏の甲子園は、清原和博(現・オリックス・バファローズ)、桑田真澄(現・読売ジャイアンツ)を擁するPL学園に7-29という記録的な大敗を喫したということでも有名である。1995年(平成7年)の夏の甲子園出場を最後に低迷し(酒田南、羽黒が台頭)甲子園から遠ざかっていたが、久々に登場した2004年(平成16年)のセンバツで山形県勢として春夏通じて初めてベスト8に進出、良くも悪くも山形県の高校野球を象徴する高校である。
東海大学の付属高校は他校に先駆け2学期制を導入している。
主なOBに横浜ベイスターズの小田嶋正邦(神奈川出身)、川崎市議会議員の飯田満などがいる。
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[編集] 建学の精神
若き日に汝の思想を培え
若き日に汝の体躯を養え
若き日に汝の知能を磨け
若き日に汝の希望を星につなげ
[編集] 校長
- 山口謙一郎(2004年~)