東京大宮電気鉄道
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東京大宮電気鉄道(とうきょうおおみやでんきてつどう)は、昭和初期に埼玉県の大宮と東京市巣鴨の間を結ぶ高速鉄道を計画していた会社。
1928年(昭和3年)4月10日、東京市麹町区永楽町の日本工業倶楽部にて、創立総会が開催された。路線は当初省線大宮駅を起点に、途中、中山道沿いに与野、浦和、蕨、板橋を経て省線大塚駅に達するものと計画された様である。しかしその後計画が変更され、起点が大宮氷川公園、終点が巣鴨駅となり、巣鴨では東京市電地下鉄道に連絡するようになっていた。
この会社は東京-大宮間に高速鉄道を建設し、一般旅客及び貨物の運輸事業が第一の目的であったがそのほか土地家屋の売買及び賃貸、電燈・電力の供給、自動車運輸事業などの兼営としており典型的な郊外鉄道としての経営戦略を示していた。資本金が600万円、株式総数は12万株、会社設立登記は1928年(昭和3年)4月16日であった。東京大宮電気鉄道は沿線の産業、土地開発に多大な貢献をするものと大いに期待され、渋沢栄一らの支援を受けた。だが、こうした期待とは裏腹に予定地の地価の高騰に因り土地買収が困難となり計画途中で終わった。
なお、1930年(昭和4年)5月までは会社は存続していたようであり、株主は殆どは東京在住者で埼玉在住者はきわめて少なかったようである。