有馬允純
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有馬 允純(ありま まさずみ(まさすみ)、延享4年3月15日(1747年4月24日) - 明和9年9月2日(1772年9月28日))は、越前丸岡藩の第4代藩主。父は第3代藩主・有馬孝純(允純は八男)。母は稲葉正知の娘・瑞応院。正室は松平定奉の姉の娘・天華院(富子)。側室に村田氏(清泰院。美濃子)。官位は従五位下。左衛門佐。
1747年3月15日、江戸幸橋屋敷にて生まれる。幼名は外吉。七人の兄がいたが、いずれも庶子だったため、世子となる。そして1757年の父の死去により後を継いだ。藩政においては大庄屋制度の廃止など、藩の行政改革に尽力したが、1772年9月2日に26歳の若さで死去した。後を長男の有馬誉純が継いだ。墓所:坂井郡丸岡町の高岳寺。