曹鼎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曹鼎(そうてい 生没年不詳)は、後漢末の政治家・官僚。字は不詳。
[編集] 略伝
父は曹珀向(曹騰の長兄)。曹操の族父(おじ)に当たる。魏の大司馬の曹休の祖父に当たる。子の名は不詳。また曹洪の伯父でもある。後漢の衛将軍を務めた人格者の曹瑜は彼の兄弟ともいわれる。曹熾(曹仁の父)は従兄弟に当たり、曹褒(曹騰の異母兄で曹仁の祖父)は伯父に当たるという。
『後漢書集解』によると、初めは河間国の相に任命された。ある時に、冀州刺史の蔡衍は清廉かつ厳格の人物のために、問題があるとされる曹鼎が贈賄行為の疑いがあると朝廷に告訴したという。その時に曹鼎の季父(末の叔父)である大長秋・中常侍の曹騰は甥の身を案じて、当時の大将軍・梁冀に甥を無罪にすべく運動をしたが、曹騰の政敵であった梁冀はかえって蔡衍と組んで、桓帝に上奏して、曹鼎を逮捕し投獄した。後に赦され、南方の呉郡太守に左遷されたという。後に梁冀と蔡衍らが仲違いし、桓帝によって梁冀が粛清され、蔡衍が懲戒免職をされると、彼は都に召還され尚書令に昇格したという。