昭和新山
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標高 | 398 m | |||
位置 | 北緯42度32分33秒 東経140度51分52秒 |
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所在地 | 北海道胆振支庁 有珠郡壮瞥町 | |||
山系 | -- | |||
種類 | 溶岩ドーム | |||
初登頂 | -- |
昭和新山(しょうわしんざん)とは、北海道有珠郡壮瞥町にある火山。支笏洞爺国立公園に含まれる。標高398mで、温度低下と浸食などによって年々縮んでいる。国指定特別天然記念物。
目次 |
[編集] 地質
有珠山の寄生火山(他に明治新山等)であり、流紋岩質の粘度の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されている。現在も噴気活動が見られる。赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったものである。
[編集] 噴火前の状況
かつてはこの地域にはフカバという集落があり、胆振縦貫鉄道が通るのどかな田園地帯であったが、火山の隆起とともに集落は消滅した(フカバという集落名は、鮭鱒の孵化場があったことによる)。その痕跡は崩壊した鉄道の橋脚跡などに残っている。
[編集] 噴火観測と保護
昭和新山は、1943年12月から1945年9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた。世界的にも珍しいベロニーテ火山(塔状火山または火山岩尖)である。当時は太平洋戦争中であったこともあり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかった。地元の郵便局長、三松正夫は、その成長の詳細な観察記録(ミマツダイヤグラム)を作製、後年、貴重な資料となった。また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民から山になってしまった土地の買い取りを行った。(買い取りの理由は、三松正夫著書によれば硫黄が採取できるということでの採掘を阻止するためとされるが、三松三朗著書では「新山」への愛着で所有したかったからとされる)。このため昭和新山は三松家の私有地であり、世界でも例を見ない私有地内にある火山である。1957年には特別天然記念物に指定された。
なお、現在、昭和新山の山麓には、昭和新山の観測を行なった三松正夫による観測記録などの資料類を展示する三松正夫記念館が建っている。
[編集] アクセス
- 国道453号から北海道道703号洞爺湖公園線を進む。
[編集] 参考図書
- 『昭和新山 その誕生と観察の記録』三松正夫 1970年 講談社
- 『昭和新山物語 火山と私の一生』三松正夫 1974年 誠文堂新光社
- 『火の山』 手塚治虫漫画全集 1983年 講談社
- 『火山一代 昭和新山と三松正夫』 三松三朗 1990年 北海道新聞社
- (著者は、三松正夫の後継者で『三松正夫記念館』館長)
- 小説
- 『昭和新山』
[編集] 外部リンク
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