明治神宮外苑競技場
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明治神宮外苑競技場(めいじじんぐうがいえんきょうぎじょう)とは明治神宮外苑内に1924年(大正13年)から1956年(昭和31年)まで存在した陸上競技場。日本初の総合競技大会である明治神宮競技大会の他、出陣学徒壮行会に使用された。現在の国立霞ヶ丘陸上競技場を起工するため解体された。
[編集] 施設
一周400メートル、幅10メートルのトラック。15,000人収容のスタンドに沿って200メートルの直線コースがある。スタンド反対側の芝生観客席は約50,000人収容。ストックホルム・オリンピアシュタディオンを模して設計された。建設費用は120万円(当時)。
[編集] 歴史
- 1916年 大日本体育協会会長嘉納治五郎らにより競技場の建設が決定
- 1919年 明治神宮奉賛会の計画承認
- 1922年 定礎
- 1923年 関東大震災により一時工事中止(翌年再開)
- 1924年 競技場竣功式。第1回明治神宮競技大会(内務省主催)
- 1930年 第9回極東選手権大会
- 1940年 紀元二千六百年奉祝東亜競技大会
- 1943年 出陣学徒壮行会
- 1945年 進駐軍により接収。「ナイルキニック・スタジアム」と呼称される。
- 1952年 接収解除。明治神宮が神宮外苑とあわせ宗教法人となる。
- 1956年 明治神宮から文部省に譲渡。国立競技場起工。解体工事開始。