明全
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明全(みょうぜん、元暦元年(1184年) - 嘉禄元年5月27日(1225年7月4日))は、鎌倉時代前期の臨済宗の僧。号は仏樹房。
初め延暦寺の杉井房明融に師事し、その後栄西に師事して法を継いだ。1223年(貞応2年)道元・高照・廓然らを伴って中国の宋に渡り、景福寺の妙雲、ついで栄西の師でもある太白山景徳寺の無際了派のもとで学んだ。太白山にいること3年で明全は病に倒れ了然院でなくなってしまった。道元は師弟関係9年の間に天台教学・黄竜派の禅・戒律などを学び、明全の遺骨を持ち帰り「舎利相伝記」を表し、明全の戒牒に奥書を記して永平寺に納めた。