旭琉会
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三代目旭琉会(きょくりゅうかい)は、那覇市に本拠を置く沖縄の暴力団で、日本の指定暴力団。 構成員は2004年6月現在で約240人。
その歴史は、戦後沖縄と密接な関係がある。 沖縄の本土復帰を機に、対立抗争を繰り返しながら、「那覇派」と「山原派」に分かれたが、本土暴力団の沖縄進出阻止を図るため、1970年12月に沖縄連合旭琉会(おきなわれんごうきょくりゅうかい)として団結。 しかし、その後も組織内の争いは絶えず、組織の統廃合を繰り返していった。
1983年、翁長良宏が3代目会長に就任して「三代目旭琉会」が発足し、構成員約1000人を擁する沖縄県内最大の暴力団となった。
その後、会長・翁長派と理事長・富永 清派の主導権争いから、1990年9月に富永派が分裂して沖縄旭琉会を結成した。 両者の抗争では白昼の市街銃撃戦やカーチェイス、火炎瓶投げ込みなど過激な抗争を繰り広げた。 組員の死者や関係のない高校生が組員と間違えられ射殺される事件、覆面パトカーでの警戒中であった私服警察官2人が射殺される事件などが相次ぎ、一般世論をも巻き込む暴力団排除の風潮が強まった。 そのため、暴力団対策法立法化や沖縄県警の取り締まり強化にも繋がった。
沖縄のヤクザは本土のヤクザと異なり、戦後に発生した。 本土ヤクザの組織内部の関係では親と子の結びつきが主になり、盃を交わすと年齢に関係なく親分子分の関係になるが、沖縄ヤクザの場合には沖縄一般社会が兄弟的関係や血縁関係が強いため、本土ヤクザとは若干異なる組織形態で発展した。 そのため、本土ヤクザには見られない抗争を繰り広げることにもなった。 地理的な条件もあるが、熾烈な抗争もあり山口組を初めとする本土の広域暴力団の進出が(例外はあるが)広島県と共に無い地域である。
1992年6月、沖縄県公安委員会から指定暴力団に指定された。
[編集] 歴代会長
- 初代:仲本善忠
- 2代目:多和田真山
- 3代目:翁長良宏
[編集] 最高幹部
- 会長翁長良宏
- 沖島一家
- 嘉手苅一家
- ナニワ一家
- 桜一家
- 丸神一家
- 丸良一家
- 丸長一家
- 座安一家
- 二代目錦志一家
- 錦一家
- 金星一家
- 誉一家