日産自動車硬式野球部
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チーム名 | 日産自動車硬式野球部 |
加盟団体 | 日本野球連盟 (社会人野球) |
創設年度 | 1959年 |
チーム名の遍歴 | 日産自動車硬式野球部(1959年-) |
フランチャイズ | 神奈川県横須賀市 |
本拠地 | |
収容人員 | |
オーナー | |
親会社 | 日産自動車 |
監督 | |
タイトル | 都市対抗:2回、日本選手権:1回 |
(優勝年度) | 都市対抗:1984年、1998年、日本選手権:2003年 |
日産自動車硬式野球部(にっさんじどうしゃこうしきやきゅうぶ)は、神奈川県横須賀市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。
創部は1959年。歴戦の猛者揃いの神奈川地区において、的確なチーム作りを続けて都市対抗野球での優勝2回など、輝かしい戦績を誇る。また、2003年には過去2度挑戦して叶わなかった日本選手権での優勝を果たすなど、関東を代表するチームの一つである。
1999年、本社の社長に「コストカッター」ことカルロス・ゴーン氏が就任し、硬式野球部の存続が不安視されたが、氏は都市対抗野球での社員の応援に感銘を受け、硬式野球部を存続させることを決心したとされる。(後にゴーン氏は「都市対抗野球こそが日本の企業文化の象徴だ」とも断言した)
また、横須賀工場に隣接する横須賀スタジアムは、横浜ベイスターズの二軍組織、湘南シーレックスが本拠地としていることから、同チームとの親交が深く、2001年8月15日には、柳川事件以後初めてとなるプロアマ交流試合が行われた。また、毎年8月半ばにはシーレックスとの交流戦が行われている。
ユニフォームは2003年まで青色を基調としたものだったが、2004年からコーポレートカラーである赤色を基調としたものに変わった。しかし、日産のシンボル「ブルーバード」(青い鳥)は健在で、右肩に描かれている青い鳥の下には2度の都市対抗野球優勝を表す2つの赤い星があしらわれている。
なお、吉浦貴志外野手は、2003年に行われたIBAFワールドカップ(ハバナ大会)で日本人初となる最優秀選手に輝いた。
応援歌はかつて日産自動車のCMソングとして使われていた「世界の恋人」。
都市対抗野球大会では2005年、2006年と2年続けて決勝戦に進んでいるが、いずれも優勝を逃している(2005年、対三菱ふそう川崎、3-6。2006年、対TDK、3-4)。
目次 |
[編集] 設立・沿革
- 1959年 創部
- 1965年 都市対抗野球初出場(2回戦敗退)
- 1978年 日本選手権初出場(8強)
- 1984年 都市対抗野球初優勝
- 1998年 都市対抗野球2度目の優勝
- 2003年 日本選手権初優勝
[編集] 主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球 出場27回、優勝2回(1984,98年)
- 日本選手権 出場13回、優勝1回(2003年)
- JABA北海道大会 優勝1回(2005年)
- JABA東京スポニチ大会 優勝3回(2000,02,06年)
- JABA静岡大会 優勝9回(1986,90,91,95,97,2000,01,04,06年)
- JABAベーブルース杯争奪大会 優勝6回(1971,79,91,93,94,98年)
- JABA日立市長杯争奪大会 優勝3回(1982,83,92年)
[編集] 主な出身プロ野球選手
- 中田良弘投手(1981年阪神ドラフト1位)
- 池田親興投手(1983年阪神ドラフト2位→ダイエー→ヤクルト)
- 川尻哲郎投手(1994年阪神ドラフト4位→近鉄→東北楽天)
- 川越英隆投手(1998年オリックスドラフト2位)
- 鷹野史寿外野手(1999年近鉄ドラフト6位→東北楽天)
- 押本健彦投手(2003年北海道日本ハムドラフト4巡)
- 三橋直樹投手(2005年横浜大学生・社会人ドラフト4巡)
- 梵英心内野手(2005年広島大学生・社会人ドラフト3巡)
- 高崎健太郎投手(2006年横浜大学生・社会人ドラフト希望入団枠)
- 青木高広投手(2006年広島大学生・社会人ドラフト4巡)