新山城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|
通称 |
真山城 |
城郭構造 |
連郭式山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
平忠度か |
築城年 |
平安末期か |
主な改修者 | |
主な城主 | |
廃城年 | |
遺構 |
石垣、堀 |
目次 |
[編集] 概要
新山城は北山山脈の山間に位置し、山麓の白鹿城はもちろんの事、宍道湖から中海まで、広く眺望が効く立地である。
平安末期平忠度により築城されたと伝わるが、毛利氏の白鹿城攻めの際に吉川元春が改修して陣を布き現在の姿になった。
白鹿城落城後、毛利氏は白鹿城を廃止し新山城に拠った。一時山中鹿之助率いる尼子残党に奪われたが、その間を除き慶長5年の関が原の戦い後廃止されるまで毛利氏が維持した。
[編集] 沿革
- 築城時期は平安末期か。
- 1563年(永禄6年)吉川元春が白鹿城攻めの陣を布き、同城落城後には多賀元信が入城。
- 1569年(永禄12年)尼子勝久を戴いた尼子残党が入城。
- 1571年(元亀2年)尼子勝久、毛利氏との戦いに敗れ没落。
- 1600年(慶長5年)関が原の戦い後、毛利氏が周防・長門二国に減封され、廃城。