新体制運動
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新体制運動(しんたいせいうんどう)とは、昭和初頭から昭和20年(1945年)の敗戦にかけての日本において約20年間、主張された政治運動。
日本におけるファシズム運動であるという認識が根強いが、あくまで天皇の輔弼を目的とし、ナチスドイツ型の政治体制をとったわけではないため、この語は適当ではないといわれる。また、主に大政翼賛会に代表される。
[編集] バスに乗り遅れるな
新体制運動が進められた背景には、世界的なファシズムの台頭が挙げられる。当時、欧米諸国、とりわけドイツ、イタリア、ソビエト連邦では一党独裁による挙国一致体制が進められていた。
日本の知識人、特に時の首相、近衛文麿はこれを世界的潮流と認識し、やがて世界は「ドイツ・イタリア」、「ソ連」、「アメリカ」、「大日本帝国」の四大勢力による分割支配されるだろうと予想した。そのため日本では、時流に取り残されることを恐れ、また新体制に諸問題の解決を期待する運動が高まり、「バスに乗り遅れるな」というスローガンが広く使われるようになった。
この思想が広まった国々ではファシズムがその政治哲学として国民に支持されていた。あくまで米国からの脅威に対抗しようとのみ考えていた日本においては、ファシズムと呼べるほどの政治思想は生まれなかったが、国難を解決し、米国の脅威から日本を防衛するために強力な政治団体が必要と感じた近衛は、昭和15年、大政翼賛会を結成、ナチス・ドイツ型の新政体を目指した。しかし、立憲君主として天皇を戴く日本においてこの新思想は違憲であるとする勢力や、天皇以外の勢力が政治の実権を有するのは天皇を軽んじてきた幕府政治の復活であるとする勢力、更には政党政治こそが日本の国体であると主張していた一部の政治家からの反発も大きかった。