文化 (動物)
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人間以外の動物に文化を認める見方もある。生物学において文化という場合は、動物の行動において、個体間で伝達継承される、後天的に獲得された行動のことである場合がある。
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[編集] 定義
文化と言えば、人間の文明を支えるものであり、民族によってさまざまな文化が継承されている。そして、一般には文化を人間に特有のものと見なす。しかし、これが本当に人間に固有のものであるかどうかを考えるためには、他の生物と比較できるような形で、文化を定義しなければならない。
そのような立場から考えた場合、文化は何にかかわるものかと言えば、個体の行動や個体間の伝達に関わるものであるから、それが生態学、それも行動学の分野の問題であるということがわかる。行動学においては、行動を支える仕組みによって分類する考え方があり、生得的に決まっている行動を本能行動、後天的に、経験によって身につけた行動を学習行動、および知能行動などと分類する。生得的な行動は遺伝子レベルで決まっているものである。
この立場で考えれば、文化やそれに基づく行動は遺伝的に決まっているわけではないから、後天的なものにふくまれる。しかし、一般的な学習行動とは異なる点として、個々の個体がその行動をそれぞれ独立に、試行錯誤的に身につけるものではなく、決まった型を前の世代から伝えられる事で身につける。伝え方には、教える場合もあれば、真似することで身につける場合もあるが、方法はともかく、遺伝子によらずに個体間で伝わることが大事である。また、文化というものはその集団の多数の個体に共有されることも特徴である。
つまり、行動学的に考えた場合、文化とは、以下のようなものである。
- 動物が後天的に身につける行動であるが、その内容は他の個体から伝えられる事で身につけるものである。
- ただし、その伝達には遺伝子が関与せず、個体間の情報伝達による。その伝達方法も文化的行動に依存している。
- そのような伝達の結果、ある集団を構成する個体の多くが、一定の状況下で、ある程度同じ行動をするようになる。
[編集] 動物の文化
上記の定義に当てはまりそうな例はいくつか見られる。最も有名なのは、日本猿における観察である。
[編集] ニホンザルの例
日本の霊長類学の初期に知られた例に、宮崎県幸島のニホンザルの群れで観察された芋洗い行動がある。これは、餌付けした群の観察から発見されたもので、海岸の砂地に餌としてまかれたサツマイモを、1頭の若い雌ザルがすぐ食べるのではなく、近くの小さな河口の水中で転がして、汚れを落としてから食べるようになった。次第にその周辺の複数の若い個体もそれを行うようになり、その後の個体は、海水で洗い、どうやら味付けをするらしく、一口ごとに海水に浸す個体も出現した。つまり、1頭が発見した行動が、その個体を見習う形で、他の個体に伝搬したのである。その後、この群れでは、麦を海水にほうり込んで砂と選別する行動なども観察され、それも一定の伝搬が見られた。
この例は、動物に文化が存在する可能性を示唆する効果があった。それによって、より地味な文化的行動の存在も見直された。たとえば、屋久島産の猿が多数集められた時に見いだされたそうであるが、鶏卵を与えた場合に、食べる個体と食べない個体があり、また、食べるにしても上手な個体と下手な個体があり、しかもそれが捕獲された個体の属する群れによって異なっていたということである。また、季節季節に野外で採る餌のメニューについても、群れごとの伝承があるのではないかとの示唆もある。
[編集] シジュウカラの牛乳ビン開け
1970年代に、イギリスで人家に配達された牛乳ビンの蓋が、勝手に開けられるという騒ぎが起こった。原因を調べると、シジュウカラの一種が嘴で紙製の蓋を破っていることが発覚した。この地方では、それまでも同じような牛乳配達が行われていたが、そのような被害はなかった。しかも、この時の被害が、一羽の鳥によるものではなかったことから、恐らくある一羽がその方法を発見し、他の個体がそれを見てまねたものと考えられる。つまり模倣によって、新しい行動が伝搬したものと考えられる。その後に牛乳ビンが金属の蓋に変わって、それ以降は同様な被害は消えたと言う。
[編集] 道具の使用
他方で、たとえば人類の進化に関わって、文化の程度を問う場合などに、道具使用が挙げられることも多い。自分の体を使う方法は、わかっていて当然であるが、自分の体以外のものを生活に利用するためには、高度の知能が必要であると考えられるからである。また、一定の目的のために、一つの集団の個体が同一の器具を用いるのは、やはり個体間の技術の伝承が必要であるから、先の定義にもかかわっている。
道具の使用は、知能に深い関わりがあると考えられるので、問題解決に道具が使えるかどうかを調べる実験がよく行われ、さまざまな動物の道具の使いようが知られてはいるが、その多くはその場限りのものであるし、この問題に限って言えば、実際に野外での生活に使われるものでなければ意味はない。
[編集] チンパンジーの場合
チンパンジーは、野外においてもさまざまな道具を使っていることが知られている。最もよく知られている例は、シロアリ釣りのための小枝である。シロアリを食べる場合に、巣穴に穴を空け、これに小枝を差し込むのである。シロアリは小枝に引っ掛かり、あるいはそれに噛み付いた状態で釣り出される。これを一気に口にいれてしごき取って食べる。この時、折り取って歯でしごいて作るシロアリ釣り用の枝は、人間が真似してもうまくシロアリが釣れることは中々なく、結構高度の技術であるという。チンパンジー自身にとっても大事なものであるらしく、うまくできた枝は次のアリの巣まで持って行くともいわれる。他にも、葉を噛み潰してスポンジ状にして、木のうろから水を吸い出して飲むとか、堅い木の実を石で割って食べるなど、多彩な道具の使用が知られる。
[編集] その他の例
このほか、以下のような道具の使用例が知られる。
- エジプトハゲワシが、鳥の卵を割って食べるために、小石を咥えて叩きつける。
- ダーウィンフィンチの一種が、口にくわえたサボテンの針をツマヨウジのように使って、枯れ木の穴中から虫を取り出す。
- ジガバチの一種が、巣穴に蓋をする時、巣穴の口に詰め込んだ砂粒を、口にくわえた小石で叩く。
ただし、ダーウィンフィンチやジガバチの場合には、個体間の伝承も考えにくく、習性の一環と見た方がよいであろう。
[編集] 一次的道具と二次的道具
かつては道具の使用は人間に固有の特徴と考えられたが、現在では上記のように幾つもの例が知られるようになり、人間に固有の能力とは言えなくなった。そこで、一次的道具と二次的道具を区別する議論がある。直接に対象物に作用する道具を一次的道具、道具を作るために使うものを二次的道具と分け、二次的道具を使えるのは人間だけだ、というのである。
[編集] 文化と見なすかどうか
上記のようなさまざまな例が、文化と呼べるものであるかどうかについては、さまざまな議論がある。
先に挙げたような例は、いずれも後天的に獲得され、個体間の伝搬で広まり、動物集団ごとに一定の型がある点など、人間に見られる文化的現象との間に、一定の共通点がある事は認められる。そういった立場から、これらを動物における文化であると見なす立場もある。
しかしながら、たとえば芋を洗い、味付けをするサルが、その後豊かな食文化を開発したかと言えば、そのようなことはない。シジュウカラの例でも、彼らがその後にそれまでと異なった生活に入ったという話は聞かない。これに対して、人間における文化は、人間の生活のあり方そのものを変えるほどに広範囲にわたり、それが世代を重ねるにつれ、次第に蓄積されるところにも特徴がある。また、文化が異なる人間間では意志疎通や感情の交流が困難なほどに、人間の根本に関わっている。そう言った面を重視する立場からは、これらの動物における例を、文化と共通する面があることは認めるにせよ、とても文化とは呼べないとする意見もある。
このような両端の意見に配慮して、これらの動物に見られる、文化的な現象をさして前文化(プレカルチュア)と呼んではどうかとの提案もあるが、広く認められてはいない。