戸山 (新宿区)
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戸山(とやま)とは、東京都新宿区にある地名。戸山1丁目から戸山3丁目までの町域を指す。1丁目から3丁目までの総人口は、10,009人(2006年10月1日現在、住民基本台帳による)。
1981年まで1、2、3丁目のほぼ全域が戸山町(とやまちょう)という1つの町域を構成していた。この名前は、現在でも地域内にある店舗名やバス停などで見ることが出来る。
[編集] 概要
新宿区のほぼ中央部に位置する。地域東部は、喜久井町・若松町に接する。地域北東部は、馬場下町に接する。地域北部は、諏訪通りに接し、これを境に西早稲田2丁目に接する。地域西部は、明治通りに接し、これを境に大久保2、3丁目に接する。地域南部は、大久保通りに接し、これを境に新宿7丁目と若松町に接する。
当地域内は、一般住宅のほか、戸山ハイツといった集合住宅、大学や高校といった文教施設、戸山公園といった緑地がある。当町域内に鉄道駅はないが、新大久保駅、東新宿駅、若松河田駅、東西線の早稲田駅が利用可能な範囲にある。幹線道路沿いにバス便も多く、これを利用する者もいる。
江戸時代は尾張徳川家の下屋敷があり、特に屋敷の回遊庭園(戸山山荘)は、小石川後楽園に並ぶ江戸の大名庭園でも指折りの庭園であった。しかし、風水害で荒廃し、幕末に焼失後はそのまま復興されなかった。明治時代になり、当地付近は(現在の大久保や百人町も含む)は軍事用地がおかれ、戸山ヶ原と呼ばれ陸軍の射撃場や陸軍の軍人養成機関である陸軍戸山学校など軍事関係の施設が並んだ地域になった。これらの施設は、第二次世界大戦終結まで存在した。戦後すぐに住宅難で家が不足していた事態に陥り、これを打破すべく、東京都によって当地に都営住宅が立ち並ぶようになり、都内の団地の原点ともいえる「戸山ハイツ」が1949年に完成した。1970年代に、鉄筋コンクリートの高層住宅に立て替えられたが、現在でも当地域内の中心的な存在となっている。そのほかにも、当地域内には、江戸時代の徳川家の回遊庭園の時に作られ現在でも残っている箱根山を中心とした都立戸山公園といった緑地や、東京都立戸山高等学校、学習院女子大学、早稲田大学戸山キャンパスといった文教施設、国立国際医療センターといった医療施設も見られる。
[編集] 町名の変遷
- 江戸時代 - 牛込破損町、および戸山山荘
- 1872年 - 戸山山荘が下戸塚村となる。
- 1878年 - 郡区町村編制法施行により牛込区発足。下戸塚村は一部のみ牛込区の区域となり下戸塚町となる。
- 1889年 - 市制施行により東京市牛込区となる。
- 1911年 - 牛込破損町を破損町に改称。
- 1914年 - 下戸塚町を戸塚町に改称。
- 1923年 - 破損町・戸塚町の区域をもって戸山町が誕生。
- 1943年 - 東京都制施行により東京都牛込区戸山町。
- 1947年 - 牛込区は四谷区・淀橋区と合併し新宿区となる。新宿区戸山町。
- 1981年 - 住居表示実施により戸山町は戸山一丁目~三丁目の各一部となる。
[編集] 地域内の主な施設
- 都営戸山ハイツ団地
- 戸山公園
- 東京都立戸山高等学校
- 学習院女子大学
- 学習院女子高等学校・中学校
- 早稲田大学戸山キャンパス(文学部)
- 国立感染症研究所
- 国立国際医療センター
- 東京都心身障害者福祉センター