恵比寿鉱山
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恵比寿鉱山(えびすこうざん)は、岐阜県中津川市(旧:恵那郡蛭川村)にあったタングステン・ビスマス鉱山である。エビス鉱山とも表記する。鉱山名の起源は、所有者であったエビス電球株式会社に因むという。隣接する遠ヶ根鉱山と共に恵那地方の代表的な鉱山である。
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[編集] 鉱床・鉱物
黒雲母花崗岩及び石英班岩に存在する気成鉱床及び熱水鉱床である。主要鉱物は、灰重石、鉄重石(鉄マンガン重石)、トパーズ、輝蒼鉛鉱、自然蒼鉛、泡蒼鉛、方解石、錫石、輝水鉛鉱、水鉛華、蛍石、硫砒鉄鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱、モナズ石を産出する。
主要な鉱床は、みなと(湊)、本山、秋山の3ヶ所である。このうち、みなと(湊)、本山が戦前戦後を通じて本格的に採掘されて、秋山はほとんど未開発の状態である。
[編集] 歴史
- 同村の大野寛文らによって試掘が行われた。
- 大阪の佐藤某と共同経営を開始。
- 当時は鉱夫100人が終夜採掘に従事。
- 重石生産は当時1ヶ月につき1トンの精鉱を産出。当初はタングステンの原料となる重石精鉱のみ生産していたが、ビスマス鉱物の産出に着目し、肥田密造がビスマスの製錬に成功。化粧品・医薬品の原料として次硝酸ビスマスの精製を行う。
- 自家用として切井那木川より取水する10kWの水力発電所を建設。余剰電力を同村へ供給を開始、住民を中心に希望者多数で、電球の明りが薄暗くなるなるなど出力不足に陥る事もあった。
- 1929年(昭和4年) - 東京のエビス電球株式会社が電球用タングステン確保の為に買収。
- 1933年(昭和8年) - 世界恐慌の影響を受けて再度休山。
- 年次不明 - 所有者が転変し、事業が再開されるものの未詳。
- 1942年(昭和17年)ごろ - 木下章三所有とされる。
- 従業員約200人で、品位60%の重石精鉱を月4トン生産。商工省東京鉱山監督局管内のタングステン鉱山で2位の生産量を誇り、重要指定鉱山となる。
- 産出された重石精鉱は大阪の共栄製錬所にフェロタングステン用に出荷。
- 本山鉱床で回生ひと呼ばれる新鉱脈を発見。
- 重石精鉱:(年)13~40トン。
- ビスマス:(年)350kg~850kg。
[編集] 現状
鉱山閉山後、跡地では建材のブロック製造所や超合金製造工場が操業したものの、長く続かなかった。
2001年(平成11年)に鉱山所有者から鉱山跡地5.8haが村に寄贈された。
地元のアマチュア鉱物学者長島乙吉が操業中によく訪れ、産出鉱物の調査・研究を行なった。その後、鉱山の旧施設を利用して地元有志による「鉱物教室」が開講したものの、指導員の高齢化等により2003年(平成15年)に終了した。現在でも鉱山跡地には蒼鉛鉱物、モナズ石、トパーズなどを求めて訪れる鉱物ファンが少なくない。