性悪説
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性悪説(せいあくせつ)とは、荀子が孟子の性善説に反対して唱えた人間の本性に対する主張。「人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり」(『荀子』性悪篇より)から来ている。
ここで荀子が人間の本性として捉える「悪」とは、人間が美しいものを見ようとしたり空腹感を覚えたり安楽を望もうとしたりするという自然な欲望のことであって、現代日本語のいう「悪」とは異なる。荀子は、人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、礼儀を正すことができるとする。人間の本性が欲望的存在にすぎないという醒めた人間観は法家の思想の根本となり、後に荀子の弟子である韓非、李斯などの法家の思想の底流をなす。
荀子が重視したことは「後天的努力」であり、「孔子ですら生まれたときから聖人だったわけではなく、学問によって聖人になることが出来た」とする考え方である。したがって、「人間の本性が悪だから、人間は悪事を為すのが当然である」というような考えではない点に注意が必要である。また、法家は、学問で矯正するよりも、法による統治で悪を未然に排除することに重きを置いたことにも注目。