徐福
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徐福(じょふく)は、中国秦代の方士(学者)。斉国の琅邪の出身。別名、徐市(じょふつ)。
司馬遷の『史記』によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に不老不死の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、財宝と共に数千人を従えて秦から東方に船出した。到着した土地で、徐福は「平原広沢」の王となり中国には戻らなかったといわれている。
「平原広沢」は日本であるともいわれており、日本各地に徐福の一行が上陸したという徐福伝説が伝えられている。たとえば、和歌山県の那智勝浦町や新宮市には古くから徐福伝説が残っているなど、各地に徐福伝説が残っているのである。
また、この徐福伝説は中国にも伝わっており、北宋の政治家・詩人である欧陽脩が日本刀について歌った『日本刀歌』の中にも、「その先祖徐福は秦を偽って薬を取りに行くと言い若い男女と共にその土地で老いた」と言う内容のフレーズが出てくる。
子に福永・福万・徐仙・福寿がいるという。
[編集] 関連文献
- 史記
- 富士古文献
- 宮下文書