弁論部
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弁論部(べんろんぶ)は、弁論、ディベートを活動内容とした大学、高校のサークル。
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[編集] 概要
弁論・ディベートは、古代ギリシア・ローマ以来、欧米では民主主義の素養をなす重要な教育手段と考えられており、日本では、明治維新以後の自由民権運動とともに発達し、関東を中心とした各教育機関において、相次いで弁論部が設立された。この中には、大学弁論部を中心に現在も存在し、100年以上の伝統を持つもサークルも少なくない。
ちなみに、これら弁論部の演説原稿が散逸するのを防ぐため、当時東京帝国大学首席書記であった野間清治は、1909年に大日本雄辯會を設立し、翌年には弁論雑誌である「雄辯」を出版した。この大日本雄辯會は、後に日本最大の出版社「講談社」となる。
1960年代頃までは、大抵の有名校には存在する、比較的メジャーなサークルであり、多くの著名人が学生時代に在籍した。また、松下政経塾が開設されるまでは、弁論部はほとんど唯一、政治家を志望する青年の受け皿であり、早稲田大学雄弁会を中心に、政治家を多く輩出した。
現在、従前通りの活動を行うサークルがある反面、1960年後半の学園紛争の影響で多くの弁論部が消滅し、また平成以降の世相や学生気質の変質により、内容をディベートに特化したものや、ジャーナリズム・学術研究に方向性を変質するサークルもある(中には明らかに活動内容の中心がが弁論部とは異なるサークルもあるが、学校から供与される予算・部室等の都合上、従前名称を変更しない場合が多い)。
[編集] 主な活動
サークルにより「雄弁会(部)」、「講演部」や、独自の名称を用いているものもある。また、名称が「弁論部」等であっても、前述の通り現在の中心活動が、ディベート・ジャーナリズム研究・学術研究他の場合がある。
- 弁論の研究
- 弁論大会への参加や企画
- 主な弁論大会(年間10から15前後の大会が開催される)
- ディベートの研究
- ディベート大会への参加や企画
- もともとは、弁論および思索の補完的・教育的側面で導入された。戦前は、大学弁論部の中心的存在であった、早大・中大・日大が法律学校を起源としたことから、法廷弁論の形式で行われた。
- 1950年代から1960年代の日本語ディベートは、朝日新聞が提唱した「朝日式討論」、米オレゴン大学が作成した「オレゴン式討論」がルールの主流を占めた。1980年代以降、全関東学生雄弁連盟加盟校では、ESSディベートや松本道弘名古屋外国語大学教授の著作を参考に、ルール作りをした「全関ルール」が主流となり、また、慶大SFCを中心にした「開智会ルール」等が存在していた。さらに、在関西大学弁論部では、これらとは若干異なるルールを採用していた。
- 近年は、全関解散を受け弁論部におけるディベートルールの汎用性がなくなる一方、これとは別に日本語ディベート普及を目指す各種連盟が、其々独自にルールを作成し、そのルールはさらに細分化している。この影響を受け、弁論部が行うディベートルールは、サークル毎に大きく異なっているのが現状である(詳細はディベートの項目参照。)。
- ディベート大会への参加や企画
- 街頭演説会の開催
- 著名人を招いた講演会の企画
- 時事問題・学術等の研究
- 機関紙の発行
- 発声練習 等々
[編集] 大学弁論部
- 現在または過去、「弁論部」等の名称で活動したサークル。但し、リンク未掲載でも、現在活動中のサークルが存在すると思われ、逆に、ホームページ等の記載が存在しても、事情により休廃部会の場合がある。なお、休部の場合は大学における登録上の組織が存続しているため、有志により復活する場合がある。
- ※は2001年時点で、全関東学生雄弁連盟・全日本学生弁論討論交流会加盟サークル。特にコメント無しの場合は、当初より全関他未加盟か同解散後に創設されたサークル。
- なお、下記では創設時よりディベートに特化した団体は未記載。
- 函館大学弁論部
- 東北学院大学Venture-Opinion※(1997年に弁論部より名称変更)
- 学習院大学輔仁会弁論部(2000年頃、全関脱退)
- 神奈川大学Debate And Discussion※
- 慶應義塾大学弁論部(1975年頃、全関脱退)
- 國學院大学辯論部※
- 国士舘大学言道部※
- 成城大学雄弁会(政治経済及び現代政策研究会)
- 創価大学弁論部
- 第一高等学校・東京大学弁論部※
- 大正大学講演部
- 拓殖大学雄弁会※
- 中央大学辞達学会※
- 帝京大学雄弁会※
- 東海大学望星会弁論部※
- 東京農業大学農友会講演部※
- 東洋大学弁論部
- 日本大学雄弁会※
- 一橋大学弁論部※
- 平成国際大学平成言論会
- 防衛大学校校友会弁論部※
- 法政大学弁論部※
- 法政大学雄弁会
- 明治大学雄弁部※
- 立教大学弁論部※
- 早稲田大学雄弁会(1975年頃、全関脱退)
- 愛知大学雄弁会
- 関西学院大学討論倶楽部※
- 立命館大学弁論部※
- 大阪大学弁論部
- 西南学院大学弁論研修会※
- 福岡大学弁論部※
- (1)1980年代以降、下記大学にも弁論部が存在したが、2006年現在、休廃部の模様である。
- 旧宮城農業短期大学(部会名不明、2005年に宮城大学へ統合)
- 亜細亜大学雄弁会(2000年以降廃部)
- 駒沢大学弁論部※(2006年現在休部)
- 上智大学弁論会(マスメディア研究会)(1995年頃、全関脱退)
- 駿河台大学弁論部※(2001年廃部)
- 専修大学雄弁会※
- 大東文化大学大東雄弁会※(2002年頃廃部)
- 筑波大学(部会名不明)(1990年代初頭廃部)
- 東京学芸大学雑弁会(1992年頃廃部)
- 東洋英和女学院大学弁論部(後に「De-De」に改称するも1997年頃廃部)
- 山梨学院大学弁論部(CAD)※(2004年より休部、参照記事)
- 流通経済大学弁論会
- 近畿大学雄弁会※
- 愛知学院大学弁論部(1996年頃廃部)
[編集] 全関東学生雄弁連盟
- 1946年、最もサークルが集中していた関東地区大学弁論部の、横断的な連絡・交流組織として、全関東学生雄弁連盟(通称・全関)が結成(加盟校数は、20~30校前後で推移していた)された。以後、積極的な統一的行動により、1950年代から1960年代前半のには、一部マスコミにも注目され全盛期を迎えた。また、東北・中部・関西・九州にも同様な機関が結成され、1950年代から1960年代にかけ、各地域組織の連絡・交流を目的に全日本学生雄弁連盟(通称・全日)が存在していた。
- 1960年代後半から1970年代にかけ、学園紛争の影響で全関の活動は停滞し、地方の大学では弁論部が相次いで消滅した(全日も存在意義を失い消滅)。また、1975年頃には、全関に対する志向性の相違により、早稲田大学雄弁会と慶應義塾大学弁論部が脱退した(その後も、他大学弁論部との連絡・交流は継続された)。
- 1980年頃より、学園紛争の沈静化と共に、全関も活動も再び活発化し、1992年からは全国規模の遊説隊を組織(全国遊説)、1996年には東京都との討論会共催(首都機能移転問題に関する学生議会)等の企画を行った。また、1993年には、再び全国組織である全日本学生弁論討論交流会(通称・全日)が結成された。
- しかし、1990年代後半から、加盟校間の組織力・実力の格差を原因とする思惑の違いが目立つようになり、五月雨式に加盟校の脱退が相次いだ。これを受け、2001年5月に全関が正式解散し、これに伴い全日も解消した。後に、有志個人によって学生弁論研究会が結成され、学生弁論連盟と改称したが、2、3年で解消、現在は、各サークルが個別に交流を行っている。