平木隆三
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平木 隆三(ひらき りゅうぞう、1931年10月7日 - )は、大阪府出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1993年Jリーグ開幕当時の名古屋グランパスエイト監督。
選手時代のポジションはフルバック。岸和田高校、関西学院大学、湯浅電池、古河電工に在籍。関西学院大学時代には天皇杯で2度優勝している。
日本代表として1956年メルボルンオリンピック、1964年東京オリンピックに出場。東京オリンピックでは怪我のため試合出場はなかったが、主将としてベスト8進出に貢献した。 1954年から1963年まで日本代表に選出され、国際Aマッチ出場27試合1得点、Bマッチ3試合、Cマッチ40試合に出場。
1962年以降は古河電工監督(選手兼任)、日本ユース代表監督、1968年メキシコオリンピックコーチ、日本B代表監督を歴任。 1992年から1993年まで、Jリーグ・名古屋グランパスエイトの初代監督を務めた。
[編集] 選手経歴
- 名古屋グランパスエイト監督
- 1992-1993
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- 先代:
- 次代:
- ゴードン・ミルン
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