常東昇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
常東昇(じょう とうしょう、1910年 - 1986年)は、摔角(シュアイジャオ)の武術家。
中国河北省保定の出身。摔角(シュアイジャオ)を伝える家系で生まれ、父常蘭亭に学ぶ。4兄弟とも武術を好み、長男の東如、そして次男の東昇、三男の東坡、四男の東起は、後に「常家四虎」と称される。
12歳の時、有名な張鳳岩に拝師して門下に入る。張鳳岩は摔角の後継者と見込み次女を常東昇の嫁にした。そして常東昇は張鳳岩から張氏保定摔角法の全伝を受け継いだ。 常東昇は保定摔角から輩出した屈指の代表人物であり、技術全面だけでなく、人格もすぐれていた中国式摔角の超級武術家である。「常勝将軍」または、「花蝴蝶」と称された。
1932年馬良の推薦により、22歳の若さで南京中央国術館の摔角教師として出任した。 日本との戦争の間、常東昇は第七、第八師と第四、第五路軍の中校体育教官となり、そして陸軍軍官学校中校体育教官、傘兵総隊上校体育教官の職にも就き、積極的に摔角の普及にも努めた。
1949年常東昇は台湾に移り住み、後に警界において仕事をした。台湾に移り住んでも摔角を指導し、警官学校、台北大学、政治大学、文化大学、建国中学などの学校で国術教師を兼任した。熱心に指導したことにより、万単位まで学習者が増えた。退職した後も、積極的に中国式摔角の普及と発展に努め、世界各地まで赴いて指導に心血を注いだ。香港、シンガポール、ドイツ、スイス、メキシコ、アメリカなどの国で摔角の演武をし、世界各地において名声を広めた。