帝釈天
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帝釈天(たいしゃくてん)は、バラモン教・ヒンドゥー教の武神インドラと同一の神。釈提恒因とも称する。
帝釈天の名前はインドラの名前のサックロ・デヴァーナーム・インドラ(Sakro Devanam Indrah)のうち、サックロを釈と音訳したものに、デヴァーナームを天と意訳して後部に付け足し、インドラを帝と意訳して冠したもの。
詳しくは 「インドラ」の項目を参照されたいが、本来のインドラ神は、阿修羅とも戦闘したという武勇の神であったが、仏教に取り入れられ、 成道前から釈迦を助け、またその説法を聴聞したことで、梵天と並んで仏教の二大護法神となった。
四天王などを配下とし、須弥山の頂上・トウ利天の善見城に住んでいることになっている。
インドにおける仏伝図様においては、釈迦に従う帝釈天の様子が描かれることがある。
日本では、頭上に宝髻を結び、中国式の礼服を着た二臂像として表現される。また、着衣下に甲冑をつけることもあり、手には金剛杵や蓮茎などを執ることがある。
また密教においては、一面二臂で、冠を戴き、身体には甲冑を着け、手には独鈷杵を執る例が見られる。
また白象にまたがった姿でも表現される。
日本最古の遺存例は、飛鳥時代、法隆寺・玉虫厨子須弥座、「施身聞偈」の図に描かれるのがそれである。また、同寺の食堂には塑像が安置されている。東大寺・法華堂(通称・三月堂)には、乾漆像が見られる(本来は、梵天)。唐招提寺・金堂には、木像が見られる。教王護国寺(東寺)・講堂には、密教の白象に乗った木像が安置される。
映画『男はつらいよ』でおなじみの東京都葛飾区の柴又帝釈天(題経寺)が有名。庚申の日を縁日とするのも、18世紀後半に題経寺の本堂を修復している際に、紛失していた板本尊が発見され、その日が庚申だったことが由来という(詳しくは柴又帝釈天を参照)。