ノート:市民活動
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[編集] 統合依頼
市民活動と市民運動は同じもののようですし、また市民運動のほうは本文も2行たらずなので、統合するのがよろしいかと思われます。Hermeneus (talk) 2005年10月29日 (土) 16:01 (UTC)
- 賛成です。私自身、両者を異なる意味で使い分けたことはありませんし、両者を異なる意味・ニュアンスで使い分けている人に出会ったこともありません。 bko 2005年11月1日 (火) 13:42 (UTC)
- とゆーか、おれ、「市民活動」っていう言い方をほとんど聞いた記憶がない。ニュアンスとしては、行政なんかが市民の自発的活動を呼ぶ場合に「市民運動」つうと敵対的イメージがあるので別の言葉を捜しましたみたいな感じなんだろーか? まあゴリゴリ押したりはしませんが、「市民活動」をリダイレクトにして「市民運動」にまとめる方がおれ的にはおさまりがいいなあ。 --Nekosuki600 2005年11月1日 (火) 13:55 (UTC)
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- 法令内の文章で使われる語句としては、「市民活動」や「市民の活動」の方が用いられる傾向にあります。「市民運動」に移動しますと、法令分野・行政分野などからの参照に若干の違和感が生じる可能性があるかもしれません。個人的には、「市民活動」の方が汎用的な呼称で良いのではないかと考えています。--YuTanaka 2005年11月3日 (木) 11:32 (UTC)
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- ああ、法令とかだと「既存の市民運動への反感」もあるでしょうし(=^_^;=)、そういう傾向があるかもしれませんね。市民運動と市民活動とどっちが言葉として古いかとかなんかいまさら調べようもないしなあ。んー。まあいいや、ゴリゴリ押さないという範囲で、「統合には賛成」「できれば市民運動を残し、活動をリダイレクト」に一票というのは維持。--Nekosuki600 2005年11月10日 (木) 15:15 (UTC)
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- 市民活動という言葉はあまり使わないけど、私は少しニュアンスが違うように思います。「市民活動」は募金集め、ごみ収集など自発的活動によって目標を実現させること、目標実現のための主語は自分たちによる。「市民運動」は政府や企業など他者に働きかける運動によって要求を実現させること、目標実現のための主語は政府や企業など他者による。--経済準学士 2005年11月18日 (金) 07:07 (UTC)
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- 経済準学士さんの定義なんですけど、これはちょっと無理じゃないかと。何を実現しようとするのかにもよりますが、「最初は自分たちでやろうと思っていた。でもそれでは実現できる範囲が狭いため、ロビイングや企業・行政の協力を得ることも視野にいれるようになった」なんていうのは珍しいことじゃないので。まあ、時として敵対される企業・行政の側からしてみればそこで区分しておきたいといったニーズがあるのはわかりますけれども、「基本的に分けることができず、間にボーダーケースやグレーゾーンが広がっているもの」は、よっぽど明確な違いがあるのでない限り、まとめて記述する方が望ましいと思います。--Nekosuki600 2005年11月18日 (金) 08:42 (UTC)
今頃言うと怒られるかもしれませんが、やはり「市民活動」と「市民運動」は分けるべきではないでしょうか。両者はかなり異なるものでしょう。市民活動といえば市民が自主的・主体的かつ非営利で公共の利益増進をはかる行為(というかNPOとかコミュニティ形成とか)ですし、一方で市民運動は普通は社会・政治運動のようなものを指し、突き詰めればブルジョワジーうんぬんの話になると思うのです。たらこ 2005年12月21日 (水) 13:49 (UTC)
- 別に今頃言っても「おそい~」ちゅう話にゃなるかもしれませんが、怒られることはないんじゃないかと思ったりして。
- さて本論ですが、えーとそういうイメージがあることは否定しませんが、どう言えばいいのかなあ、そのイメージは間違ってるんですよね。間はずーっと連続していてグラデーションになってる。目立つところをピックアップすると対極的な部分が垣間見えたりするかもしれませんが、そういうもんじゃないんです。どちらかというと、その「分けられる」というイメージはマイナスになっている(たとえば草の根運動体がロビイングをすることに対して「それは市民活動・市民運動がやることじゃない」という非難が浴びせられる、とか)。
- 日本では、戦後しばらくの間、市民の自発的活動というと、左翼的傾向の強い政治活動以外ほとんど見当たらなかったという現実があって、そういうイメージが根拠レスなものだとは思いません。ただそのイメージは、状況がもたらした反射的なものであるにすぎないのです。おれ、環境屋もやってるんですけど、とある環境屋が旧来のサヨク運動と同一視されるのに業を煮やして「ぼくらはアカではない。グリーンだ」と言ったことがあります。たらこさんのイメージにある「社会運動・政治運動」というのは、市民運動・市民活動の中の一部の目立った分野のことなんじゃないかなあと思います。
- --Nekosuki600 2005年12月26日 (月) 05:55 (UTC)
- 「連続していてグラデーションになってる」という点は理解できます。実際よく説明されるところでは、1970年代以降生活防衛型から生活要求型に移行するとか、まちづくりへの主体的な参加が見られる(ここで「住民運動」と「市民運動」の関係も問題になってきますが)などと書いてあります。
- また「政治運動」という言葉を用いたのは軽率でした。辞書・事典にも「自立的で非党派的・非階級的な運動」(広辞苑)、「非政治的な市民による非党派的な運動」(日本大百科全書)と書いてあります(ただ今あげた広辞苑には「自発的な社会・政治運動」とも書いてありますが)。決して「左翼的」とか「政治権力の獲得」といった意味で用いたわけではなかったのですが、もしお気を悪くされましたら大変申し訳ございません。
- 市民運動の代わりに市民活動の語を用いることは個人的には聞いたことがありませんが、事例があるなら構わないと思います(「住民運動」との混同はよく聞くのですが)。この点においてはさほど問題視しておりません。
- ですが問題は「市民活動」という語からスタートした場合です。「市民活動」は既存の百科事典などではなかなか見つけることはできず、語をしっかりと定義してあるものは少ないのですが、市民の文化的な行いだとか地域社会における営みだとかいう説明がなされており、そこから一歩進んでまちづくりへの参加などが述べられてきます。近年ではNPO、あるいは特定非営利活動促進法などにおける定義との関係も考えなければなりません(もちろん、ここでの市民活動の定義が不適切である、という批判は重々承知しているつもりです)。また地方自治体において「市民活動」という語が用いられる場合、単に余暇活動を指すこともあります。つまり「自主的・主体的かつ非営利で公共の利益増進をはかる行為」の中には野球大会とか、アマチュアオーケストラの演奏とか、公園掃除のようなものも想定されているわけですが、こうしたものを「市民運動」と呼べるかどうか、いや少なくとも従来定義されてきた「市民運動」に合致するかどうかと問われると厳しいと思うのです(音楽会の開催を市民運動の一環ととらえた例は見受けられるので、絶対に無理とまでは言いませんが)。
- ここで改めて「市民運動」という語を調べてみると、「民主主義を基礎に、権利意識を自覚し」(日本大百科全書)、「自由で平等な市民社会と平和で健康な市民生活を実現するため・・・市民的自由の拡大と市民生活の擁護を図ろうとする運動」(世界大百科事典)などとあります。世界大百科全書ではこのあと「歴史的には・・・市民革命の経験に、古典的な市民運動の原型が求められる」と続きます。やはり語源が違うと思うのです。
- もちろん同じ領域が多く出てくるわけですが、市民運動と住民運動を区別した研究が多いのと同じように、市民運動と市民活動も一応分けて記述を行なったほうがよいのではと考えます。その上で内容をかぶせていけばよいのではないでしょうか。
- しかし確かに、少し過去の先入観とイメージに頼っている気もします。改めて調べなおしてみないと結局のところ反論にはなっていないかもしれませんね。長文失礼しました。たらこ 2005年12月26日 (月) 13:42 (UTC)
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- いや、別段「政治的であること」が悪いことだと思ってはいませんし、政治的な市民運動・市民活動がたくさんあるのも事実ですから、そのあたりはかまわないんですが。
- 逆の見方をしますと、辞書定義における「非党派性」というのにもかなり疑問がありますけどね。党派性があったら市民運動・市民活動ではなくなるのか。そもそも政党ってのは市民運動が政治的志向性を持ったがゆえにかたちづくられたもんだろうが(「いやまあ『党派性』ちゅうと、そういうフツーの政党のこっちゃないぞ」という意見も出てきそうだが)。
- 市民運動と市民活動という言葉の使い分けですが、統合案のところでもちょっと書きましたけど、おれの感覚では「見方の違い」ではないかと思ってます。市民運動というのも、戦後数十年続いているうちになんとなくサヨク的なものであるような印象を帯びてしまった。サヨク的であることに拒否感を示す人々は自分たちがやっていることを「市民運動」とは呼びたくないと思ったとか、企業・行政が市民の組織と手を組むとなるとできれば相手のことを「市民運動」とは呼びたくないと思ったというか。そのあたりから多用されるようになってきた言葉なんじゃないかという印象があります。ついでに「市民団体」なんてのも同様の印象を帯びているのじゃないかなあ。
- さて市民運動(めんどくさいので併記はやめる。以下「市民運動」と記します)。欧米では、とかいうと「なんだ欧米かぶれかよ」みたいなリアクションがしばしばあるんですが、まあいいや、欧米では、と。実にいろんなものがあるのですよねえ。前に「反環境的団体リスト」というカリフォルニアっぽい本の抄訳を作ったことがあるんですが、アメリカだとウヨ系とか、労組系なんだけど企業の利益を守るためにがんばっちゃうひとたちとか、まあさまざまで。オートバイが砂漠とかに無造作に乗り入れることで生態系が破壊されるっつうんで自然保護区域を作ろうとしたりするでしょ。するとそこでデザートライダーたちが組織を立ち上げて反対運動をやりロビイングまで展開しちゃったりするわけね。日本だったら飲み屋で愚痴こぼして終わりなんだけどねえ。良い悪いは別として、とにかく「市民運動」の多様性が日本とは比べものになりません(と思いました。念のためですが、おれは自然保護屋なので、そのデザートライダーの組織には好感を抱きませんが)。また、ヨーロッパなんかだと、おれの趣味に近いところで言えば「保存鉄道」なんてのがあったりするんですけど、そういうのも市民運動のうちだと思うのね。党派的なわけでも政治的主張があるわけでも世間様のためになんか役立つことをやろうといわけでもないのだが、個人じゃとてもできないことを集団を作ってやっちゃいましょうみたいなやつ。こんなのも立派な市民運動だと思うわけですよ(最近ようやく日本にもこういう活動が根付いてきました。連中は「市民運動」を自称してはいないんだけどね)。
- なんかこう、日本国内ネタにとどまらず、もっと広くいろいろな市民運動とかについて包括的に述べるようなテキストにできればいいなあ、なんてことを思ってはいます。他人がやってるものについてそんなに詳しいわけじゃないんで、なかなか書けないんですけどね。
- --Nekosuki600 2005年12月26日 (月) 16:02 (UTC)
- なるほど、大変参考になりました。正直なところ最近の欧米での事例まであまり考えていなかったので、ちょっと紋切り型の判断になっていたかもしれません。「いろいろな市民運動とかについて包括的に述べるようなテキスト」といったものに仕上がってくれば、もはや分ける必要はなさそうに思えました。
- 「日常の営み」的なところをどうするかはまだ少しわからない部分もありますが、なにぶん記事が育ってこないとなんともいえないと思うので、しばらくは加筆されるのを見守ることにします。どうもありがとうございました。たらこ 2005年12月28日 (水) 08:57 (UTC)
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[編集] 外部リンク削除について
「2005年12月19日 (月) 06:19 211.13.148.185 (→外部リンク - 無名の一個人による批判が正鵠を射ているとは思えないので削除) 」とあり、外部リンクが2件削除されていますが、個人の存在を抜きには語ることのできない市民活動や市民運動に関することで、個人の意見をそのように封殺することはいかがかと思います。異論が少なければ復活させたいと思います。--58.91.124.115 2005年12月25日 (日) 23:23 (UTC)
- Wikipediaは百科事典であり無名の個人が自説を開陳する場所ではありませんので、「無名の一個人」の書いた評論の類いなら不要でしょう。Hermeneus (talk) 2005年12月26日 (月) 00:30 (UTC)