巴御前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
巴御前(ともえごぜん、保元2年(1157年)? - 宝治元年(1247年)?)は、平安時代末期の武将とされている女性。中原兼遠の娘で、樋口兼光・今井兼平の妹。源義仲(木曾義仲)の愛妾であったとされている。古典『平家物語』では、義仲に従い治承・寿永の乱(源平合戦)で戦う大刀の女武者として描かれている。
平家物語では、『木曾殿は信濃より、巴・山吹とて、二人の便女を具せられたり。山吹はいたはりあい、都にとどまりぬ。中にも巴は色白く髪長く、容顔まことに優れたり。』と記され、 木曽四天王とともに、義仲の平家討伐に従軍し、倶利伽羅峠の戦いでは一部隊を率いて大勝利に貢献し、京都に入洛した。 元暦元年(一一八四)義仲敗走の際も主従五騎となるまで防戦に努め、最期を覚悟した義仲の言葉により信濃に帰り、のち出家して菩提を弔ったとされる。
平家物語では、脱出の際に、「最後の奉公でございます」と言い、敵将の首をねじ切って捨てたという記述が見られる。
義仲の戦死後、源頼朝に捕らえられ、御家人の和田義盛と再婚し朝比奈義秀を生んだと『源平盛衰記』に記されているが、 これは『吾妻鏡』が記す義秀の没年齢からすると計算が合わないため、後年の創作とされる。