島田裕二
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島田 裕二(しまだ ゆうじ 1966年11月24日 - )は格闘技レフェリー。並びにプロレス興行の出演者。広島県福山市出身。東洋大学卒業。
[編集] 経歴
伝説の「高田延彦vsヒクソン・グレイシー戦」(1997年10月 PRIDE1)を始め、「桜庭和志vsホイス・グレイシー戦」、「ミルコ・クロコップvs藤田和之戦」、「ヴァンダレイ・シウバvs桜庭和志戦」 など数々の名勝負を裁いた名レフェリー。
総合格闘技からコミカルな試合まで、対応できる試合は幅広く、レフェリーとして参加した団体の数はおそらく日本プロレス史でも屈指であろう。「悪役が行う反則を『偶然』見ないふりをする」などの古典的なムーブメントにも素晴らしいものがある。
過去には、K-1やリングスといった格闘技団体をはじめ、多数のインディー団体や全日本プロレスでもレフェリーを務めている。同時に格闘探偵団バトラーツにおいて石川雄規とともに運営を担っていたが、石川とそりが合わなくなり同団体を離れた。また選手としての経験も豊富で、海外で「ニンジャ2号」のリングネームでレスラーデビューしたほか、リングスが主催していたアマチュアトーナメントで優勝したこともある。このように各団体を転々としており”ヤドカリ”というキャラで通っている。
現在の肩書きは、格闘技興行PRIDEルールディレクター、PRIDEレフェリー、プロレス興行ハッスルディレクター、ハッスルのキャラクター「島田二等兵」、自らが設立したフィットネスジムのオーナー、などとさまざまな方面で活動を行っている。
[編集] 参謀長から二等兵へ
ハッスルでは、高田モンスター軍の参謀長だったが、2005年2月に島田が、モンスターロワイヤルを企画したが、試合内容がお粗末で、高田総統が激怒し、参謀長から二等兵へ降ろされた。 島田二等兵のキャラクターが認知された頃から、ハッスルと同じ興行団体DSEが主催するPRIDEで大会が始まる前の審判・ジャッジ紹介で名前が呼ばれる時に観客から拍手の代わりにブーイングが起き、それに対して島田は「あれれ?」という感じで首を傾ける事が恒例になっている。
[編集] リンク
- 本人HP 島田裕二のいきなりジャッジメント
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