島津師久
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
島津 師久(しまづ もろひさ、1325年9月23日(正中2年8月16日)-1376年4月10日(天授2年/永和2年3月21日))は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。島津氏の第6代当主。父は第5代当主・島津貞久(師久は三男)。母は大友親時の娘。官位は上総介。大夫判官。
南北朝時代に入ると足利尊氏に属して武功を挙げたため、薩摩国内や肥前国内の地頭に任じられた。父の死の直前である1363年4月、父から薩摩の守護職と家督を継ぐこととなった(兄の島津宗久が早世していたため)。
これが総州家島津氏の始まりである。その後、家督を子の島津伊久に譲っている。1375年、今川貞世(了俊)の謀略で少弐冬資が暗殺されると、この了俊の行為に激怒して了俊と対立した。1376年3月、52歳で死去。墓所ははじめ川内隈之城称名寺跡にあったが、後に鹿児島福昌寺跡に改葬された。
- 島津氏歴代当主(総州家)
- 1363~1376
-
- 先代:
- 島津貞久
- 次代:
- 島津伊久