島津実久
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島津実久(しまづさねひさ、永正7年(1510年) - 天文22年(1553年))は島津氏(薩州家)五代目の当主。父は島津忠興。島津義虎は子。
薩摩の出水を本拠とし、島津氏の血を引いていたことから本家の島津勝久と対立してこれを圧迫して家督を譲らせようとした。しかし、そのやり方があまりにひどすぎたために、勝久は島津貴久に家督を譲ろうとする。すると実久は、勝久を豊後に追放したうえで貴久並びにその父である島津忠良を滅ぼして、家督を我が物にしようとした。
しかし、1539年の加世田や市来の戦いで忠良・貴久父子に敗れ、以後も柴原の戦いなどで敗戦を続けて、遂に貴久に降伏し、出水に隠棲した。