岩のドーム
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岩のドーム (قبة الصخرة Qubbat as-Sakhrah) はエルサレムにある、カアバ、預言者のモスクに次ぐイスラム教の第3の聖地。7世紀末に完成した集中式平面をもつ神殿である。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にとって重要な関わりを持つ聖なる岩を祭っており、建設に際して刻まれた総延長240mに及ぶ碑文では、イエスの神性を否定はするものの、預言者であることを認めている。
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[編集] 歴史
岩のドームはかつてのエルサレム神殿内にあり、建設はウマイヤ朝カリフであるアブドゥルマリクが685年から688年の間のいつの時点かに建設を思い立ったことに始まる。当時、イスラム最高の聖地メッカはアリー・イブン=アビー=ターリブを支持するイブン・アッ・ズバイルによって制圧されており、それが岩のドーム建設の直接の動機であったと推察される。
建物は、預言者ムハンマドが夜の旅に旅立ち、また、アブラハムが息子イサクを犠牲に捧げようとした場所と信じられている「聖なる岩」を取り囲むように建設され、692年に完成した。外部は大理石と美しい瑠璃色のトルコ製タイルによって装飾されているが、これは1554年に貼り直されたもので、かつては樹木や草花、建物を画いたガラス・モザイクであった。ドーム部分は内部装飾も含めて11世紀に再建されたものだが、これはほぼ創建当時のままのデザインである。
[編集] 信仰
イスラム教の教祖・ムハンマドが一夜のうちに昇天する旅を体験した場所とされる。クルアーンでは、マディーナ(メディナ)の預言者のモスクに住していた時代のムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」すなわちマッカ(メッカ)のカアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわちエルサレム神殿までの旅をしたと語っている(17章1節)。
伝承によると、このときムハンマドはエルサレムの神殿上の岩から天馬に乗って昇天し、神の御前に至ったのだという。
この伝承は、ムハンマドの死後から早い時期にはすでにイスラム教徒の間では事実とみなされており、神殿の丘におけるムハンマドが昇天したとされる場所にはウマイヤ朝の時代に岩のドームが築かれた。また、丘の上には「遠隔の礼拝堂」を記念するアル・アクサモスク(銀のドーム)が建設され、聖地のひとつと見なされている。
また、この岩は、アブラハムが息子のイサクを神のために捧げようとした台ともされるため、キリスト教、ユダヤ教も聖地を主張している。支持者は少ないが、岩のドームを現在の場所から取り除いた上でその場にエルサレム神殿を再建しようとする運動すら存在している。
[編集] 形状
平面は2つの正方形を45度ずらして形成された八角形で、中央円形の内陣を二重の歩廊が取り囲む形式となっており、メッカのカアバを意識したことが指摘されている。
入り口は東西南北の4方向にあり、創建当時から円柱が取り付けられ、ヴォールト天井のポーチを備えていた。入り口を入ってすぐの外側の歩廊は、エンタブレチュアとイオニア式円柱によって支えられる24のアーチを備え、内側の歩廊はドームを支える4本のピアと16のアーチを支えるイオニア式円柱によって内陣部と分離している。平面の洗練された幾何学性はシリアの初期キリスト教建築にも見られるもので、内装に見られるモザイクなどもやはりキリスト教建築からの影響をうかがうことができる。
ドーム内部のモザイク装飾は11世紀以降に何度か補修を受けているが、創建当時の意匠をほぼそのまま踏襲している。デザインはギリシア、ローマ起原のもので、後のイスラム美術特有のモティーフである幾何学的装飾はまったく見られない。