岐阜県立岐阜商業高等学校
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岐阜県立岐阜商業高等学校 | |
設置者 | 岐阜県 |
学区 | 岐阜学区 |
設立年月日 | 1904年(明治37年) |
校訓 | 不撓不屈 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
学科 | 流通ビジネス科 情報処理科 会計システム科 国際コミュニケーション科 |
所在地 | 〒502-0931 岐阜市則武新屋敷1816-6 |
電話番号 | 058-231-6161 |
外部リンク |
岐阜県立岐阜商業高等学校(ぎふけんりつぎふしょうぎょうこうとうがっこう)は、岐阜県岐阜市にある公立商業高等学校。高校野球をはじめ多くの部活動の名門校として有名である。地元での通称は県岐商もしくは岐商。全国的には県岐阜商と略されることが多いが、これは当校と別に岐阜市立岐阜商業高等学校があるため。また、定時制単位制を併設する。
目次 |
[編集] 学校概要
- 設立 1904年(明治37年)
- 学科
- 流通ビジネス科
- 情報処理科
- 会計システム科
- 国際コミュニケーション科
- 所在地 岐阜市則武新屋敷1816-6
- 校訓 不撓不屈
[編集] 沿革
[編集] 岐阜市立岐阜商業学校
[編集] 岐阜市立女子商業学校
- 1935年(昭和10年) 設立し、商業高校となる
- 1948年(昭和23年) 岐阜市立女子商業学校に改称する
[編集] 統合
- 1948年(昭和23年) 岐阜市立岐阜商業学校と岐阜市立女子商業学校を統合し、校名は岐阜市立岐阜商業学校とする
- 1949年(昭和24年) 岐阜市立岐阜商業学校を廃止し、生徒を長良高等学校、岐阜高等学校、加納高等学校商業課程に配置する
[編集] 岐阜県立岐阜商業高等学校
- 1951年(昭和26年) 長良高等学校、岐阜高等学校、加納高等学校商業課程で募集した生徒を編入
- 1955年(昭和30年) 貿易科を新設する
- 1963年(昭和38年) 貿易科を廃止する
- 1970年(昭和45年) 経営科の募集を停止し、営業科、経理科、事務科を新設する
- 1971年(昭和46年) 情報処理科を新設する
- 1991年(平成3年) 国際コミュニケーション科を新設する
- 1999年(平成11年) 事務科の募集を停止し、情報処理科に統合する
- 2001年(平成13年) 営業科の募集を停止し、流通ビジネス科に改編する
- 2002年(平成14年) 経理科の募集を停止し、会計システム科に改編する
- 2003年(平成15年) 文科省目指せスペシャリスト事業に指定される
[編集] 部活動
多くの運動系部活動がインターハイに出場し、EDP部・速記部などが全国優勝を果たしている。部活動は全員加入である。
- 運動系部活動
- 硬式野球部
- 軟式野球部
- テニス部
- ソフトテニス部
- サッカー部
- 陸上競技部
- 水泳部
- ハンドボール部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- バドミントン部
- 卓球部
- 柔道部
- 剣道部
- 応援部
- 空手道部
- 新体操部同窓会
- 文科系部活動
- 珠算部
- 速記部
- ワープロ部
- EDP部
- 簿記部
- ベンチャーズ部
- 科学部
- 吹奏楽部
- 美術部
- 書道部
- 演劇部
- インターアクト・アートクラフト部
- 茶華道部
- 放送部
- 英会話部
[編集] 進路状況
生徒の3分の2が進学し、6割が四年制大学に進学する。国公立大学にも毎年十数人を輩出している。
[編集] 出身者
- 高橋尚子 (マラソン選手)
- 和田一浩 (プロ野球・西武ライオンズ外野手)
- 蔵本英智 (プロ野球・中日ドラゴンズ外野手)
- 石原慶幸 (プロ野球・広島東洋カープ捕手)
- 黒瀬春樹 (プロ野球・西武ライオンズ内野手)
- 高木守道 (元プロ野球選手)
- 前原博之 (元プロ野球選手)
- 糸井統 (水泳選手・バルセロナ・アトランタオリンピック入賞。現同校の教師)
- 山脇佳奈 (体操選手)
- 大島信雄 (元プロ野球選手。大戦前後の東京六大学野球・慶大投手、1950年セントラル・リーグ最優秀新人)
- 加藤三郎 (戦前の東京六大学野球・明大選手。特攻死)
- 松井栄造 (戦前の東京六大学野球・早大投手・外野手。戦死)
- 近藤清 (戦前の東京六大学野球・早大選手。特攻死)
[編集] アクセス
- 岐阜バス ([ち]忠節長良線)「県岐商前」下車
- 岐阜バス ([1][11][101][111]長良線、[き]城田寺柳津線、黒野線、岐大キャンパス線、岐阜大学病院線、大野北高線)「北高前」下車徒歩5分