山田輝郎
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山田輝郎(やまだ きろう 1894年(明治27年)11月16日-1982年(昭和57年)4月17日)は、昭和時代の実業家。元ロート製薬社長。
[編集] 来歴・人物
ロート製薬の前身である山田安民薬房を創業した山田安民の息子として奈良県に生まれた。
1920年(大正9年)早稲田大学政経学部卒業。同年、山田安民薬房を継ぎ、1949年(昭和24年)にロート製薬に改組して社長に就任。
1954年(昭和29年)9月に大衆胃腸薬「シロン」を発売し、会社を急成長させた(後の「パンシロン」の源流)。シロンの呼び名は輝郎がヨーロッパ訪問の際に、スイスのレマン湖畔にあった古城「シロン城」の名前を気に入ってつけたものである。
1964年(昭和39年)に行われた東京オリンピックの水泳競技で日本勢が不振だったことから、1965年(昭和40年)、私財を拠出し山田スイミングクラブを設立。後のミュンヘンオリンピック金メダリスト青木まゆみらを育てた。
1977年(昭和52年)に私財30億円を拠出し財団法人山田科学振興財団を設立。医学、生物学、物理学、天文学等の自然化学領域の基礎研究の支援を行った。
1978年(昭和53年)ロート製薬会長に就任。1981年(昭和56年)勲三等旭日中綬章を受章。1982年(昭和57年)4月17日死去。享年87。
子に2代目ロート製薬社長となった山田安邦がいる。
[編集] 外部リンク
- 山田科学振興財団(財団創立者として山田輝郎の紹介がある。)