山名義済
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山名 義済(やまな よしなり、天保7年2月21日(1836年4月6日) - 明治4年2月20日(1871年4月9日))は、但馬村岡藩の初代藩主。父は山名義問。母は堀直寛の娘・寛子。正室は堀直格の娘・縁子。官位は従五位下。因幡守。
1836年2月21日生まれ。1859年、父の隠居により交代寄合である山名氏の家督を継ぐ。幕末期の動乱の中で、義済は早くから尊王論者として官軍側に協力していたため、1868年6月20日、かねてから請願していた維新立藩(新規取立て)が認められて所領を1万1000石とされ、1869年には藩主に取り立てられて、諸侯に列した。ここに村岡藩が成立したのである。1870年6月23日には藩知事となるが、翌年2月11日、長男の山名義路に家督を譲って隠居した。
1871年2月20日、36歳で死去した。