尾上菊五郎 (6代目)
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六代目尾上菊五郎(ろくだいめ おのえ きくごろう、明治18年(1885年)8月26日 - 昭和24年(1949年)7月10日)は大正・昭和時代に活躍した歌舞伎役者。初代中村吉右衛門とともに、いわゆる菊吉時代を築いた。歌舞伎界で単に「六代目」と言えば、ほとんどの場合この菊五郎を指す。
[編集] 来歴・人物
五代目尾上菊五郎の子で、本名は寺島幸三。大正時代、吉右衛門とともに市村座(下谷区二長町)で活躍し、菊吉時代・二長町時代を築いた。世話物と舞踏に優れ、家の芸として五代目の新古演劇十種を引き継いだ。吉右衛門の脱退後、市村座を支えたがまもなく歌舞伎座に移った。
1949年7月没。同年11月、歌舞伎界で初めて文化勲章を受章した。
立役も女形もこなしたが、殊に『藤娘』、『道成寺』などの娘役の舞踊を得意としていた。身体は比較的大柄だったが、通常より大きな大道具を使用することにより、可憐さを表現する手法を確立した。
長女・久枝は十七代目中村勘三郎の妻となり、十八代目中村勘三郎を産んだ。七代目尾上梅幸は養子である。
[編集] 六代目菊五郎と桃屋の花らっきょう
六代目菊五郎は桃屋の花らっきょうが好物だった。それを物語るのが臨終間際のエピソード。六代目は「桃屋の花らっきょうが食べたい…」と消え入るような声で呟いた。これを聞いた東京劇場の支配人は東京中を探したが見つからなかった(当時は戦後の混乱で砂糖が統制下であり、当時の桃屋の社長が「肝心の砂糖がないなら作らない方がいい!!」と一時生産休止を決定していたため)。仕方なく他社のらっきょう漬を買って届けたが、彼は口にするなり「こりゃ、桃屋の花らっきょうじゃない! 普通のらっきょうだ! 下げろ!」といい後は見向きしないまま逝った。