小西如清
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小西 如清(こにし じょせい)は、安土桃山時代の武将。豊臣氏の家臣。
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時代 | 安土桃山時代 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 不明 | |||
主君 | 豊臣秀吉 | |||
氏族 | 小西氏 | |||
父母 | 父:小西隆佐。母:小西マグネリア | |||
兄弟 | 弟:小西行長、小西行景 |
小西隆佐の長男として生まれる。小西行長、小西行景の兄に当たる。与天正7年(1579年)、キリシタンとなった。洗礼名はベントとされる。文禄3年(1594年)、豊臣秀吉より生前に父が歴任していた堺代官に任じられた。その後の行方は不明である。父隆佐も同じ如清を名乗ったとも言われており、そのため混乱が生じたのかもしれない。
堺代官就任は弟行長が豊臣氏内部で舟奉行を務めていること、行長と親交のあった石田三成の兄正澄が堺奉行に任じられていることなどと関連した人事であろうと思われる。系図類の一部には宗長という息子がいると伝わるが、如清自身の動向が途絶えてしまっているためこの息子の存在も名も正確には不明である。