小杉隆
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生年月日 | 1935年9月25日 |
出身地 | 東京都目黒区 |
出身大学 | 東京大学教養学部 |
前職 | 東京放送社員 東京都議会議員 |
役職 | 元・文部大臣 |
世襲の有無 | 世襲ではない |
選挙区 | 東京5区 |
当選回数 | 8回 |
所属党派 | (新自由クラブ→) 自由民主党(山崎派) |
党の役職 | 党総務副会長 |
会館号室 | 衆議院第二議員会館543号室 |
ウェブサイト | [1] |
小杉 隆(こすぎ たかし、1935年9月25日 - )は、日本の政治家、自由民主党所属の衆議院議員。東京都目黒区出身。
1959年に東京大学教養学部を卒業し、東京放送に入社。1965年に最年少で東京都議会議員に当選。1977年に新自由クラブに入党し、1980年の第36回衆議院議員総選挙で衆院議員初当選を果たす。新自由クラブ国会対策委員長を務めた後、1986年に新自由クラブの解党により自民党へ移った。
環境問題を重点的に取り組んでいる。環境政務次官、衆議院環境委員会委員長、環境問題特別委員会委員長などを歴任し、1993年の環境基本法成立には尽力した。かつては日本野鳥の会会長を務めていたこともある。
1996年、第2次橋本内閣で文部大臣に就任したが、在任中に、神戸連続児童殺傷事件が発生。これに反応し、「これからは心の教育が重要」との発言を行ったが、「以前の”期待される人間像”を復活させるのか」などといった批判にさらされるなど、目ぼしい活躍はあげられなかった。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、都市部で自民党が大幅に議席を減らし、小杉も落選した。落選中、帝京大学経済学部教授に就任。2003年に比例復活で国政復帰、2005年の総選挙では選挙区で当選を果たした。
自転車に造詣が深く、東京サイクリング協会会長を務める。
2006年12月、夫人(69)が破産宣告を受けた。負債総額は14億円である[1]。夫人は地元では有名な借金王で、怪しい投資話や、あぶない儲け話にのめり込み、借金が雪だるま式に膨らんでいったのが原因とみられる。そのため東京・目黒区の豪邸も競売にかけられ、すでに人手に渡り、隣の子供たちの家もいまや他人名義で、一家離散の状況となっている。
[編集] 脚注
- ↑ 「小杉衆院議員の妻が自己破産、負債総額14億円」、読売新聞、2006年12月14日。