宮崎シティエフエム
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宮崎シティエフエムは、宮崎県宮崎市にかつて存在したコミュニティFM放送局で、ステーションネームは「City FM 77(シティエフエムななじゅうなな)」。宮崎アーバンホテル、学音ユニティフェイス、地球クラブら宮崎市内の企業が出資して、宮崎アーバンホテル代表取締役である佐藤挙男氏が社長を勤めていた。
宮崎市内のほぼ中心部にある宮崎アーバンホテルの屋上に送信アンテナを掲げ、全方位に電波を飛ばしていた。
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[編集] 設立経緯
宮崎市内には1992年頃よりコミュニティFM放送局設立の動きはあり、すでに「宮崎シティエフエム設立準備室」(Aグループ:現宮崎サンシャインエフエム)があったが、別のBグループが「宮崎シティエフエム」の商号登記をし、株式会社として設立した。当時はこれに地元の広告代理店ワークショップが中心となった「FMサザン・ステーション」がCグループとして名乗りを上げ、三つ巴の争いにあったが、Cグループが降りた為、AグループとBグループの1本化調整が宮崎市によって行われた。
しかし1998年夏に至るまで一本化調整は難航、両グループは共に九州電気通信監理局(現:九州総合通信局)に免許申請を行った。電監は同エリアでのコミュニティFM放送局並立に難色を示したものの、同年12月25日、宮崎シティエフエムに予備免許が下され、3月10日に本免許を下した。
[編集] 特色
宮崎シティエフエムは、先行局である宮崎サンシャインエフエムとは違いを出すため、全番組編成を都会的な構成にした。まず選曲に強いこだわりがある東京都のFM局J-WAVEの電波を受信し、宮崎市内に再送信することで若年層の心をしっかり掴み、さらに県域FM放送局・FM宮崎(JOY-FM)で活躍していた中神美智子、富永千香などの名物パーソナリティを看板DJに起用。地元で有名なS@KOも加わり、開局当時の番組制作力としては非常に強いものを持っていたといえよう。
送信所である宮崎アーバンホテル2階にスタジオを設け、さらに市内繁華街にあるショッピングセンター「AGAIN」にサテライトスタジオを構え、市民に直に触れ合うラジオを目指した。
[編集] インターネット展開
宮崎シティエフエムのオフィシャルサイトは、当時の宮崎県企業としては非常に先鋭的なデザインで構成されていた。
2001年7月には地元のティーエヌエー・ インターネット・ソリューションズ株式会社から出資も受けて事業提携していた。
しかし数年前にWebサイト「パワフルみやざき」とサイト合併後、ある日何の予告もなしに突然タイムテーブルすら確認することが出来なくなった。ところが放送は平常通り行われていた。
[編集] シティエフエムの終焉
2005年9月30日宮崎日日新聞社によって、次回放送免許の更新断念が報道され、同年10月31日をもって放送を終了した。原因は、経営状況の悪化と突然死去した代表者の後任が決まらず、会社として存続出来ない状態にあったことが挙げられている。放送免許の更新にはこれまでの実績や今後5年間の事業計画などの提出義務があり、申請期限である同年7月末までにそれを準備するだけの余力もなかったのが実情のようだ。