安藤百福
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安藤 百福(あんどう ももふく、1910年3月5日 - )台湾生まれ。日清食品(株)創業者会長、(社)日本即席食品工業協会会長、(財)安藤スポーツ・食文化振興財団理事長、(財)漢方医薬研究振興財団会長、世界ラーメン協会会長など。1934年、立命館大学専門部経済科修了。1996年、立命館大学名誉博士。
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[編集] 来歴・人物
1910年日本統治時代下の台湾に生を享ける。両親を幼少期に亡くし、繊維問屋を経営する祖父母のもと、台南市で育った。1932年、22歳のとき父の遺産を元手に繊維会社東洋莫大小を設立した。当時、メリヤスを扱う商社はまれであり、事業の拡大により翌1933年には大阪に日東商会を設立した。安藤は、メリヤス貿易から光学機器や精密機械の製造にも事業を拡大する一方、立命館大学専門部経済学科に学んだ。
第二次世界大戦では事務所や工場を空襲によって失ったが、事業を再開し、百貨店経営や食品事業に乗り出す。1948年に中交総社(のちサンシー殖産、現在の日清食品)を設立し、大阪府南部で海岸に鉄板を並べ、海水を流して塩を製造する独特な仕方で製塩事業を行った。
なお、この時国籍を中華民国としているが、これは在日華人であった方が何かと都合が良かったためであり、元々は台湾生まれであっただけで生粋の日本人である。(現在は正式に帰化。)
当時、アメリカから送られた援助物資の小麦粉からパンを製造し、パン食を奨励する運動を厚生省(現厚生労働省)が行っていた。安藤はこのパン食奨励に不満を持ち、東洋文化であるめん類を粉食奨励の一環として取り上げないのはなぜか、厚生省職員に質問した。職員からは、麺類製造には零細業者が多く、供給体制に問題があることが指摘され、自分でやったらどうかと突き放された。後にインスタントラーメンで製めん業界屈指の存在となる安藤であるが、このときは既存事業から手を広げる余裕はなく、話のみにおわった。
安藤はある信用組合から懇願され、その理事長に就任した。しかし1957年この信用組合が倒産し、無限責任を負っていた理事長の安藤は本体の事業を手放して負債を弁済することになり、大阪府池田市の自宅だけが安藤のもとに残った。
安藤は自邸の庭に建てた小屋でインスタントラーメンの研究を始め、1958年8月25日チキンラーメンを商品化することに成功。どんぶりに入れて湯を注ぐだけで食べられる簡便な食品は、瞬く間に人気商品となった。同年12月、会社の商号を日清食品株式会社に変更。会社の事業は順調に拡大した。信用組合倒産の際の借金返済の苦労を教訓として、安藤は無借金経営を社是とした。1963年、日清食品は東京証券取引所2部および大阪証券取引所2部へ上場するに到った。
チキンラーメンの好評を見て、追随する業者が多く出た。とくに粗悪品や模造品を重く見た安藤は、商標や特許を登録・申請し、社の信用を守ることにつとめた。日清食品は1961年にチキンラーメンを商標登録し、翌1962年には即席ラーメンの製造法の特許を得る。このとき113社が警告を受けた。類似商法を看過しない姿勢を打ち出した安藤であったが、1964年には一社独占をやめ、日本ラーメン工業協会を設立し、製法特許権を譲渡・公開した。
安藤はアメリカ進出を考えるが、1966年の渡米時、どんぶりという食器がアメリカにはないことに気が付いた。そこから紙コップを使うカップ麺の発想が生まれた。こうして、1971年9月18日に世界で初めてカップ麺「日清カップヌードル」を発売した。日清カップヌードルはアメリカ合衆国を皮切りとして、日本国外にも販路を広げていった。
1981年より日清食品会長。
1999年、彼の業績を記念したラーメンの博物館インスタントラーメン発明記念館が池田市にオープン。(6年半余り後の2006年7月28日、記念館は入場者100万人を達成した。)
2005年6月(95歳)、「日清食品には若い経営陣が育っており、経営を任せることに不安はない。私がまだ元気なうちに引き継がせたい」という理由から、6月29日で取締役を退任し創業者会長に就任した。
健康の秘訣は週1回のゴルフと毎日欠かさず食べるチキンラーメン。
[編集] 主な受賞歴
- 藍綬褒章(1977年)
- 勲二等瑞宝章(1982年)
- 紺綬褒章(1983年)
- 科学技術庁長官賞「功労者賞」(1992年)
- 勲二等旭日重光章(2002年)
[編集] 主な著作
- 「食欲礼賛」(2006年、PHP研究所)
- 「100歳を元気に生きる 安藤百福の賢食紀行」(2005年、中央公論新社)
- 「魔法のラーメン発明物語 私の履歴書」(2002年、日本経済新聞社)
- 「進化する麺食文化ラーメンのルーツを探る」(1998年、日清ネットコム、共著:奥村彪生、安藤百福)
- 「食は時代とともに 安藤百福フィールドノート」(1999年、旭屋出版)
- 「苦境からの脱出激変の時代を生きる」(1992年、日清ネットコム)
- 「日本めん百景」(1991年、日清ネットコム)
- 「時代に学ぶ美健賢食」(1990年、日清ネットコム)
- 「美健賢食新和風薬膳のすすめ」(1989年、日清ネットコム)
- 「麺ロードを行く」(1988年、講談社)
- 「安藤百福語録」(1987年、日清食品)
- 「日本の味探訪食足世平(しょくたりてよはたいらか) 続」(1987年、講談社)
- 「食足世平日本の味探訪」(1985年、講談社)
- 「奇想天外の発想」(1983年、講談社)
[編集] 関連著作
- 「日清食品会長 安藤百福のゼロからの『成功法則』」(2004年、かんき出版/鈴田孝史 編著)
[編集] 関連項目
- 安藤百福賞
- インスタントラーメン発明記念館
- 連続テレビ小説てるてる家族 - 安藤をモデルとするラーメン博士・安西千吉が登場する。