宇都宮忠綱
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宇都宮 忠綱(うつのみや ただつな、明応5年(1496年) - 大永7年(1527年))は日本の戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏第18代当主。宇都宮成綱の子。足利高基妻・結城政朝妻は姉妹。実子もいたといわれるが不詳。弥三郎。
父成綱は下野宇都宮氏の中興の英主として宇都宮家の勢力の拡大に貢献したが、晩年は家臣芳賀氏との間で騒動を起こしたため隠居を余儀なくされ(宇都宮錯乱)、忠綱が跡を継いだ。忠綱は父の遺志を継いで皆川氏と争うなど勢力拡大の戦いに奔走したが、1526年、結城氏と通じた叔父芳賀興綱の策謀により宇都宮城を奪取され没落し、鹿沼城の壬生綱房を頼ったものの勢力を回復できないまま、鹿沼にて失意のうちに没した。興綱に内通した綱房に暗殺されたともいう。
- 下野宇都宮氏歴代当主
- 1514~1526
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- 先代:
- 宇都宮成綱
- 次代:
- 宇都宮興綱