孝武帝 (北魏)
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姓名 | 拓跋脩(元脩) |
年号 | |
廟号 | - |
字 | - |
諡号 | 孝武皇帝『北史』 出帝『魏書』 |
生没年 | 510年-534年 |
在位 | 532年-534年 |
父 | 広平武穆王懐 (第三子) |
母 | 李氏 |
孝武帝(こうぶてい、510年(永平3年)-534年(永熙3年)、在位532年-534年)は、北魏の第十三代(最後)の皇帝。姓は元で、諱は脩。第七代皇帝・宣武帝の甥で父は広平武穆王・元懐(孝文帝第5子)で、その第三子。『北史』での諡号は孝武帝だが、『魏書』では出帝としている。
目次 |
[編集] 生涯
廃帝朗の後、高歓によって擁立された。しかし、孝武帝は傀儡も同然で、実権は高歓が握っていた。このため孝武帝は長安に中心とした勢力を持つ軍閥の宇文泰と手を結んで高歓を排除しようとしたが、これが事前に露見して孝武帝は長安に逃亡した。
そして今度は長安で宇文泰と対立し、534年に帝は殺害されてしまったのである。
[編集] 宗室
[編集] 后妃
不詳
[編集] 子
不詳
[編集] 関連項目
カテゴリ: 中国史の人物 | 魏晋南北朝時代の人物 | 510年生 | 534年没