大戦略 (軍事)
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大戦略(だいせんりゃく)とは、国家の総力を動員するレベルの軍事戦略である。大戦略における重要な決定として、典型的には、戦争における戦域の優先順位、生産に有利な標準の兵器、自国の目的に最も合致する同盟国の選択がある。大戦略は対外政策と重なる部分もあるが、対外政策の軍事的な意味を最重要視する点で異なる。
大戦略は典型的には、最も上級の軍当局者らの情報を元に、国の政治的指導者によって決定される。広範囲にわたって多くの人々や団体が巻き込まれるため、大戦略は公文書に残る事柄だが、実施の詳細(たとえば同盟の当面の目的)はしばしば機密事項とされる。大戦略は何年間も、ときには数世代にわたって続くことがある。
[編集] 歴史的な例
- ペロポネソス戦争: アテナイは当時、最強の海軍を持ち、古代ギリシアの周辺部の重要な港をいくつも支配していた。スパルタとペロポネソス同盟は強力な陸軍を持ち、古代ギリシャの心臓部ともいえる地域を支配していた。アテナイの急速な成長を恐れたスパルタによってペロポネソス戦争が始められた。国内に多くの被抑圧民を抱えるスパルタには長期間の遠征が無理だったため、直接アテナイを攻略する戦略をとった。一方、アテナイの指導者ペリクレスは籠城戦を選んだ。陸戦を耐え抜いて得意の海戦でスパルタを圧倒する作戦だった。
- イギリス帝国の海の支配: イギリス帝国は、その歴史の大部分で、「maritime」または「blue water」大戦略と呼ばれるものを追求した。この戦略の中心となるのは、海――特にイギリス海峡と北海――を支配するための強力な海軍の整備であり、これは帝国を侵略から守ることにもなった。そのため、イギリス帝国は、植民地において水陸どちらの作戦にも使われうるわずかな陸軍しか必要としなかった。この大戦略は英国が、海軍より負担が大きくなりがちな大規模な陸軍を常設するのに必要な負担をなくしただけでなく、主な海上交通路の支配を通じた貿易を後押しすることにもなった。
- 第二次世界大戦: 現代の大戦略の典型的な例は、第二次世界大戦での、連合国による、まずドイツを破ることに集中するという決定である。これは真珠湾攻撃によってアメリカ合衆国が参戦した後になされた共同協定である。ドイツが枢軸国でもっとも強力であり、イギリスとソビエト連邦の存続を直接脅かしていたためになされた。反対に大日本帝国による侵略は、大衆のかなりの注目を集めていたが、ほとんどが計画立案者や政策決定者にとっては必要性の低い植民地地域におけるものだったため、太平洋戦争での連合軍の具体的な戦略は、戦域司令官に与えられた少ない戦力で組み立てられた。
- 冷戦時代の封じ込め政策: 冷戦では、より近年の大戦略の例である、アメリカ合衆国による封じ込め政策がなされた。
- 中国人民解放軍の規模縮小: 軍事要素と経済要素の双方を組み入れた大戦略の例で、1980年代初頭の中華人民共和国の指導部は、人民解放軍の規模を縮小し、より多くの資源を民間に使えるようにした。これは民間経済の成長が、将来、軍備の近代化を助けるだろうと考えてなされた。