大友親秀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大友 親秀(おおとも ちかひで、1195年(建久6年)-1248年11月10日(宝治2年10月24日))は、鎌倉時代前期の武将。大友氏の第2代当主。父は初代当主・大友能直。母は平氏出身者。官位は大炊助。
鎌倉幕府の御家人として仕えた。源氏将軍が絶えた後は九条頼経の家臣として仕え、嘉禎4年(1238年)には頼経と共に上洛に随行した。大友氏の基盤を固めるため、弟の大友能秀と共に協力して国政を行ない、嘉禎2年(1236年)には家督を子の大友頼康(頼泰)に譲って隠居し、次代を磐石にするなどして大友氏の基礎を固めた。宝治2年(1248年)10月24日、54歳で死去。法号は寂秀。