士祗
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士祗(しし、163年?-?)は、後漢末期から三国時代にかけての武将。士燮の子で、士徽の兄に当たる。
三国志演義では記述が無い人物である。父と同じく領民思いの温厚な人物で、激しい気性の持ち主であった弟の士徽とはあまり仲が良くなかったと言われている。弟の士徽が呉の孫権に対して反乱を起こしたとき、士祗も反乱に参加したが、弟のように呉に寝返ろうとした家臣を殺害するように積極的な意志は無く、むしろ消極的であったといわれている。
従兄弟の士匡が説得にやってくると、もともと反乱に消極的であった士祗は素直に受け入れて降伏した。そして、弟の士徽や士幹らの説得に当たり、彼らも降伏させたのである。しかし、呂岱の騙し討ちに遭い、会見場にて兄弟皆殺しとされてしまった。